テレビも視聴者もオワコン。
バリピでもなく喪男でもなく、会いたくて震えるでもなくコミュ障でもないリア充オタク、重オタクブロガーのとも提督です(・ω・)ノ
テレビは老害と貧乏人のもの・・・とは良く言ったものだと思わざるを得ないですね(^_^;)
[su_box title=”もくじ” style=”soft” box_color=”#000080″] [/su_box]テレビは人を受け身にさせる
テレビと学校教育の共通点
テレビも学校もともに産業時代の遺物であり、ヒトを受け身にさせる>作用を持つという共通点があります。
かなり雑な言い方すると、目に映ったり音を発しているのが
そして、時代にマッチせず、「役立たず」の烙印を押され始めている点もよく似てますね。
産業時代は工場や建設現場でがなってるオッサン上司の言うことをただ聞いて指示に従ってさえいればそれでよかったし、受け身で、自分の頭でものを考えない男がチヤホヤされました。
汗水たらせという努力礼賛っぽい美徳とともに。
受け身人間はオワコン
木偶人形になる以外能がない
今や木偶人形の代わりなんて、ネット上のサービスやソフトウェア・・・そして、ロボットのような新しいハードウェアデバイスさえあれば、簡単に人が今やってる仕事なんてできるくらいの技術があります。
銀行員、学校の教師、訪問販売のセールス、工場労働者、電話営業、銀行の融資担当、窓口業務・・・クレジットアドバイザー・・・これらは今の技術でも十分人間と代替することも可能です。
受け身人間は老害と一緒に墓穴に入った方が幸せ
テレビに従い、老害的価値観を妄信し続けていればまちがいなく「こんなはずじゃなかった」と社会人生活のどこかで言うハメになるでしょう。
テレビ業界が斜陽産業になってきているように、かつてのテレビっ子が大手を振って歩けた時代の人の価値観もまたテレビとともに眠りにつこうとしています。
テレビと一緒に沈むか、テレビにバイバイして自分の人生をテレビ以上に面白くするか・・・今、まさに選ぶタイミングになっています。
ひたすら受け身になって、苦行に耐えていることが価値だった・・・というのは急速に過去の価値観になろうとしてます。
努力についての価値観もこれからを生き延びたければ更新する必要が大いにあるでしょう。 それが嫌なら老害とともに墓穴に入ることを受け入れるより選択の余地はないと思うくらいでちょうどいいでしょう。
老害は横柄だ。何でもクレクレすればいいと思ってるから
テレビとともに老害的に日々を過ごしていると、情報なんて誰かがくれて当たり前と思うようになります。
自分で取りに行くってことをする習慣がないですから。
だから、電車やバスでは席を譲ってもらって当たり前だし、VIP待遇のような過剰なおもてなしをすき家とかコンビニで受けようとしてレジ前で喚き散らしても恥の意識ひとつ見せようとしない醜い生き恥をさらすんですよね。
そんな人は、どこに行ったって満たされないからさっさと墓穴に入った方が幸せな気すらしますね。
おわりに
テレビを罷免して自己責任の旗の下で生きていこう
自分の責任はしっかり自分で取る方が、気持ちのいい生き方ができる・・・「テレビがいってたから」、「上司が言ってたから」なんて言い訳ばかりする人を見るたびにいつもそう思いますね。
もう、テレビの都合に振り回され、テレビを悪く言うために時間を使いつつ、テレビを見続けてしまう・・・みたいな時間の浪費・・・やめにしませんか(^_^;)
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