「近」未来の労働

ロボット化は90年代から

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本当に2015年になって今更?といった感じがします。
駅の自動改札は90年代にはすでに当たり前で、田舎の無人駅ですら簡易ではあるもののそのシステムに組み込まれています。

「ロボットに仕事を奪われる」が現実のものとなる労働力の機械化は既に始まっていたんです。

変わらない労働文化

「システムを変える」というのは怠け者の考える最も愚かなことだ。勤勉な大和民族にあってはならない。という謎の教義を固く信じている中間管理職のオッサンはごろごろ転がっています。 飲食というジャンルにおいてはゼンショーやワタミといった成功者であってもそうです。
「人間を干物になるまで酷使するシステムこそ唯一無二!」「搾取し合うことこそ正義!」と言っているもんやけど、何をどうねじ曲がった構造をしているのか「日本人の美徳」という形でこういう文化が残り継承されていくのです。「まるで意味が分からんぞ!」とツッコミ入れたくなりません?
こういうオッサンどもの言っていることは釈迦力になって「成長著しい人工知能と機械のボディを併せ持ったロボットと価格でも性能でも真っ向勝負を挑め」ということです。 ムリゲーですねwww

しかも競争相手はロボットだけでは有馬線。

移民との闘い

静岡県や太田市など、ブラジル人労働者をはじめとする外国人労働者の多い街はまさに90年代からその最前線ですね。
人件費という意味では日本人よりアドバンテージを持っている彼らも今やロボットと競っているため、日本人に圧勝していて当然でなくてはならないのです。 必死さが違うんです。
今、あなたが座っているデスクは不動のものではないのです。 常に奪う機会を外国人が虎視眈々と狙っている。脅かしている。というのが正しい理解です。

もう、大和魂でデスクにしがみつき、酒席で贅肉をため、その末に病に倒れた末に家族からも会社からも使い捨てられ、自分の席は外国人に奪われ、お払い箱になり、再就職もかなわず潰れていく。というのが今の若いサラリーマンが後生大事に大和魂を抱えてサラリーマンとして社会人を全うすることを選んだ末に辿る未来です。

これこそ、東京や大企業で消耗するという意味なんですね。 そんなこんなで新しい働き方の入り口をばらまいておきますw

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