歴史の授業を漫然と受けてはいけない3つの理由・3つの妄言

歴史の授業を漫然と受けてはいけない3つの理由・3つの妄言

その授業は何のためにある?誰のためにある?

バリピでもなく喪男でもなく、会いたくて震えるでもなくコミュ障でもないリア充オタク重オタクブロガーのとも提督です!

ちょっと踏み込んで考えてみると、学校での歴史の授業にはいくつか思わず首をかしげたくなるようなポイントが存在します。

なんでこんなナンセンスなことを彼らは口にするのだろうと。

日本人がどんな状態にあるか、という点と照らし合わせ、原理原則に基づいて考えてみたとき、見えてくる事実がありました。

日本人は均一スペック民族

量産型ザク!日本の社会人・日本の学生

誰選んでも同じ。

みんなと同じ
和をもって尊し。

これが日本人の美徳です。

美点も汚点もみんな変わり映えしないんです。

スーパーにいる親子連れはみんな親が怒鳴り散らしているし、家に帰れば親父がテレビの前にごろ寝して番組にケチをつけ続けている。

仕事が辛いと感じて口でそう言ってるのに口だけで終わって「何の工夫もしていない」クチダケ男だらけなのも。

心の底では政治家が既得権益をかなぐり捨ててでも自分たちを救済してくれればいいな・・・・なんて腹のうちさえもね。

自分が自分の手で何かを変えようとしない限り1ミクロンも現実は変わってくれないのに。

ではなぜ、ぼくら日本人はこのようなつまらない人間だらけになってしまったのでしょう?

その原因の1つに学校教育の歴史の授業が1枚かんでいるのではないかと思い、メスを入れてみました。

 

ここが変だよガッコの日本史1:「秀吉はなぜ農民を保護しなかったのかな?」

何やるにしても制度疲労起こしてない限り既存のシステムを流用した方が合理的じゃない?

秀吉は山崎の戦や賤ヶ岳の戦い、清州会議などを経て天下を取り、石山本願寺跡に大阪城を築いた貧農出身の天下人として知られています。

公教育の場で秀吉が語られる時、小学校ではこんな質問が飛んでくるのは珍しい光景ではないでしょう。

これってちょっと考えればわかることですが、秀吉の出身が仮に貧農だったとしても彼自身が武家社会のルールを熟知していて状況判断力に長けていることには違いありません。

でなければ、金ヶ崎の退き口と言う死線を潜り抜け、光秀と共に織田のNo.2を飾ることはあり得ません。

彼はまた、人たらしの才にも経験にも恵まれており、人心の掌握が上手かった点も見逃せません。

その上で、考えたいのは自分が築いた地位を守ることを人なら誰だって考えるということです。

自分があの時代に天下を取ったとして、自分に従う武家の皆さんからいきなり既得権益をはぎ取るような暴挙をするでしょうか?ありえませんよね?

だから結果的に農民の保護よりも国体と政権維持を優先するのは何ら不思議なことではないのです。

下々から見れば豹変にしか見えない怪異であったとしても。

それこそそんなことが許されるのはコードギアスR2での皇帝ルルーシュくらいでしょうw

ところが、教師がそんなナンセンスな質問をするのにも理由があるのです。

 

ここが変だよガッコの日本史2:「農民の扱いひどくね?」

「被害者面をすること=大義名分を得るのに必要なこと」と誤認する

どの時代を語るときであっても必ずちょっと話を盛りながら農民やプロレタリアートといった階級がいかに虐げられているかをくどいくらい時代背景に応じた形で教わることになります。

一見、単なる教科書の内容のつめこみ、ですがそれ以上の害があります。

「こんなにかわいそうな人たちがいた」「弱者を虐げるのは悪いこと」といったメッセージ性が歴史教科書には詰まっています

これも少し考えればわかる話ですが、人間だってホモ・サピエンスという動物の1種でしかありません。

動物である以上、弱肉強食の摂理からは絶対に逃れることはできません。

弱肉強食ある限り強者と弱者は必ず存在し、明暗はくっきりと分かれます。

単純にして明快なまでに。

本来、「かわいそうな人たちは何故かわいそうなまま終わってるのだろうか?」と一歩踏み込んで考察すべき場面なのですが、学校教育の場ではそれが無いのです

考えられることがないから学校という場で「虐げられるべくして虐げられる弱者」が製造され、歴史を繰り返すと言う皮肉が描かれるのです。

弱者が何の努力もなしに強者による施しを貰って地位向上をすることが当たり前という前提で語られているのですから。

そのためにクレーマーが今日も今日とて電車の中で携帯電話を取り出し、いろんな企業のホットラインを使ってゆすり行為を働くなんて光景が見られる、と言っても盛りすぎじゃないように思えませんか?

 

ここが変だよガッコの日本史3:「憲法9条は神だ(盛ってるのはお互いSUMMER?)」

平和憲法は、外敵が向ける矛を跳ね飛ばすATフィールドか何かとでも思ってるの?

「平和憲法ある限り日本は戦争をしない。」
そのようにぼくらは教わります。

正確にはぼくらにそう言わせるために編集された情報が教師の口を通して伝わるのです。

イメージしてみてください。
もし、今、北朝鮮がミサイルを撃って来たなら?と。

ウチには平和憲法があるからやめてくれと言ったところで相手が引き金を引いた時点ではすでに戦争は始まっているワケです。

隣には北朝鮮という実体を持っためちゃくちゃな国があるわけです。

そう考えたとき9条は神みたいなイメージがいかに力や実効性を持たないのか・・・ということを思い知らされるはずです。

平和ボケなんていう精神性はそういうところから作られているんじゃないか、とすらぼくなんかは勘ぐってしまうわけですよ(^_^;)

 

おわりに

日本の教育現場はアリの眼目線で考える癖の習得が何より優先されている。

被支配者を使役して被支配者を作り出すためのシステムが日本の公教育システムです。

支配者にとって支配される人々ってのは何も考えず支配者の思惑に従っていればそれでいいんですよ。

考える力を失い、脳が存在意義を失おうとも。

だから、「支配者に向かって文句を言う→何も変えずにターンエンド」な大衆を無限ループ生産しようとするわけです。

そう考えると、今ある日本の既得権益と言うのは日清戦争直前の清国みたいな張子の虎みたいなものかもしれませんね(^_^;)

すぽんさーどりんく


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