貧困デモの取り扱いが失敗であるたった一つの理由

さて、今日は久々の時事記事の更新になったけど、満足できるネタを集めてたのでこの時間に参上!ってなわけで、こんにちは。満足提督ともです。
あの貧困デモ。せっかくデモのありようまで変えられるネタでやってたのにこんなもったいない使い方をするなんてねー(^_^;)

応援はしてたけど、このセンスじゃもう応援する価値ないなーっつーわけでデモごとぶった切ろう(^_-)-☆

価値を提供する。それが稼ぐということ。

あんちゃさんの記事にも書いてあるからよーく読んどけ!目ん玉ひん向いてぇ!耳の穴かっぽじってぇっ!!
価値を提供できないから、単純労働しかできねぇ!政府に頼ることしか頭になくなる!そして・・・頼みの綱の国にはしごを外されて貧民窟真っ逆さま。

素晴らしいくらいの様式美だと思いませんか?

サラリーマンも、価値を提供できず時間しか売るものがないという点で同じです。

貧困に苦しむ人間を0にすることはできない

あえて言うなら、貧民は貧民に甘んじるだけの要素を持っていて嫌でも金持ちを支えるしか選択肢がなくなる。 そして、金持ちを恨んで彼らが倒れれば何とかなるって考えに脳を支配される。 これも完璧な様式美。 なぜなら、「価値あるものを提供できる=稼ぐって方程式が今のところ絶対的なもの」だからです。

つまり、貧困を駆逐するってことは、貧困に縛り付けてじわじわと駆逐するか。稼ぐ方法を模索させるか。二つに一つなんですね。 結局はただの乞食デモになり下がったわけなんですね。

誕生日近いんで欲しいもの晒しときます♪