遺族だってまた無自覚に人を殺すよねって話

おはようございます!最近武士道(色々と間違ってるやつw)に感化され過ぎている満足民、とも提督です♪
長い文章というのは難しいものですね・・・今回紹介するこのニュース記事だって、コメント欄も本文も死刑制度の是非っていうマクロでゼネラルな話題で終わってるのですが、記事タイトル通り「遺族の気が収まる」という視点に絞ったニッチな記事ならかなりまとまったのではないでしょうか?
ちなみにオレは死刑支持派です。 理由は、更生不能なものを処分するのに最も税金がかからず、早い方法だからです。 最終的にすべてが野に放たれることがあればそのような者は再び同じ過ちを100%。罪の意識もなく犯す。 そういうものを処分するカードを残すという意味で、なので抑止力としての効果は求めてません。

では、死刑と被害者遺族について、「オレなり」に簡潔にまとめてみます。

恨みの果てに。

命をもって贖えッーーーーー!!!! そういって、相手をあの世に送り、積年の恨みを晴らした者の顔というのは彼らの青写真通り、清々しいものなんでしょうか?
オレにはそうは思えない。きっと現実はこの話での「アンドレイ・スミルノフ(ガンダムOO)」のような感じで・・・

心の中はこの話の「ルイス・ハレヴィ(ガンダムOO)」のような感じになるだろう。

憎しみに支配された心というのは復讐をやり遂げたアンドレイやルイスのようだったり、ルイスに対峙する前のネーナだったり・・・修羅そのものですから無理はない、という心情面は本当によくわかる。 それでも、溜飲は下がらず、新しい混乱や虚しさと向き合うんです。

復讐が生きる理由になっていた人ならなおさら。 アンドレイはルイスという惚れた相手がいたからだと思ってますが、ルイスは恋人の左慈のことなんて完全にアウトオブ眼中状態でネーナを屠ったため、同じ復讐の遂行というシーンでも復讐の直後で描かれ方が違ったのでしょうね。 生きる理由が復讐だけか、それ以外にGN粒子に頼らなくても認識できる程度でしっかりとあるのか・・・むしろ、遺族を癒すのは復讐以外の生きる理由になる存在ではないでしょうか。

自分は違う、自分には関係ない、違う世界の出来事だ。
そういう現実から目を背ける行為が、無自覚な悪意となり、このような結果を招く。

ガンダム成分・・・いや、GN粒子にかなり染められてしまった今回の記事ですが(笑) ティエリアのこのセリフもまた、死刑が遺族の感情に効くという人に聞かせてあげたい言葉ですね。
遺族は加害者と違ってその手を血に染めてはいません。 自分はこいつと違うという意識に頭は完全に支配されています。同じ人間という構造物を使っている存在とすら認識していません。 それに事件に関しては当事者でもありません。 だからこそ、人扱いしない。だからこそ平気で「死ね」「死んで贖え」と言えるんですね。
無自覚な悪意そのものです。 考えなしで紡がれたその言葉とんでもない悪意をはらんでいるとすら気付くことなく。

酒鬼薔薇聖斗レベルの殺人鬼でない限り、ほとんどが人という枠に収まっていますし、原型は人です。あとは、遺族という立場なら人を傷つけることなく、自分の傷を癒すことに力を注いでもらいたいな。と願うばかりですね。 だからこそ。復讐ではなく、それ以外の生きる意味を見つけ、それを頼りに己の気を収めるのが文明人のやり方なんですね。