こんばんは♪今日は夜に更新する気まぐれスタイルでお送りする満足系愛宕提督!ともです(・ω・)ノ
体罰がなくならないことについて不毛な論議がニュースにて行われているのでオレはブログで書こうと思った次第で。
結論いっちゃうと今の教育制度がある限り体罰はなくなりません。
「させられる」文化
こういうのって全部「させられる」ことによって発生する無駄なんです。暴力はその氷山の一角にすぎません。 制度維持ということであれば言ってきかない生徒を暴力によって無理やり従わせるというのは当然です。
とにかく、一方的に受信してもらわないと公教育というのは始まらないのですから。
テレビ、学校、社畜、、、すべて20世紀でしか生きられない過去の遺物です。
すべて、受動的な存在ですから。みんな受動型なので能動的に動ける人間が価値を持つわけです。 差別化であり市場の原理を考えればこれも当然なんですね。
画一化と暴力
しかし、その仕組みに住みついた大いなるムダに気付いてもらうというのも困る人たちがいるんです。 国はある意味そう言うマイノリティの味方かもしれません。
国体を維持するためには望みうる形の多数派が形成されているという状況が必要。 暴力沙汰は責任者と当事者を処分してパージし、警察で処理すればことは十分なんです。 一人くらい人生が破壊されようが大勢に影響がなければ問題ありません。どの道、社畜に仕立ててすりつぶす予定の品ですし、欠品が10ほど出た程度のことですから。 身も蓋もないですが、これが現実です。
画一化によって多数派を形成するためには大きな声で言えませんけど暴力はある程度必要な悪なんです。 それに、それでストレスが発散して人件費も浮いてくれるわけです。学校経営者にしても悪い話ではないでしょう。
よって、画一化や「させられる」工場時代の文化が現役である限り、暴力がなくなることはないのです。