社畜ができるまで。
電通、foxconn、NHK。
ブラック企業は害でしかありませんね。
そして「ブラック企業の労働観が正当化されていく背景」には一体何が潜んでいるのでしょうか。
作られるものだとしたらいかにして作られていくのでしょうか?
- 都会に押し込まれる社畜。30年前の常識がインストールされているために彼らは都会に住むのだ
- 店がなければ麺活できない時代は終わった。
- 【ミニ四駆組めればできる!】人間以上の根性でお金の採掘を頑張ってくれるマシンを作ろう!
学校とはその製造現場そのものである
もともとぼくらは社畜だったわけじゃない。工場の金型に押し込まれて社畜になったんだ。
学校以外の生活がない
夏休みが終わってから、学校では文化祭、体育祭という大きなイベントが続く。彼女も夏休み中から、部活での発表やクラスの出し物の練習のために学校に行っていた。2学期になってからは、放課後は連日練習らしい。
これを社畜の生活に当てはめてみましょう。
夏休み=都市伝説 /文化祭、体育祭という大きなイベント=飲み会や忘年会という不毛な社内イベント /休日出勤=休日登校 /連日の残業=放課後にある毎日の練習。
奇妙なほど一致してますよね。
まさに社畜の製造現場!
非業の死を遂げた電通社員の女性も教えてくれてます。
1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな。
— まつり (@matsuririri) 2015年12月17日
生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってからが人生。
— まつり (@matsuririri) 2015年11月3日
日曜日も弊社は輝いている
— まつり (@matsuririri) 2015年11月1日
会社の飲み会コンテンツ作るのが今までのどんな業務よりつらいんだけど、紅白よりも少ない登場人物で20〜60代の男女が楽しめるコンテンツを作ることができたら、私はNHKよりすごいということになるな。
— まつり (@matsuririri) 2015年12月1日
最高学府まで含めて社畜生産工場だった。
こうして見ると、学問をする場所ではなく、あの東大ですら、辛いことに耐えることを肉体に叩きこむことのみが本来の目的と化しているようにしか見えませんね。
亡くなられた高橋まつりさんは東大出身者ですから。
学歴と受験がいかに消耗的であるかを被害女性が命に代えて教訓としてぼくらに残してくれたメッセージでもあります。
ぼくらはこれを生かす責務があるでしょう。
現状に甘んじることなく。常に進歩している証を打ち立てるとはそういうことなのです。
学校と部活と社畜と。
社畜ってこうしてできるんだな・・・外国人が疑問を持つのも無理はない。https://t.co/UdyQh6QcC1
放課後も夏休みも部活…日本の学校教育は絶望的?貴重な10代の全生活が拘束される… https://t.co/bYzLcEh7UQ #niconews
— とも提督@重オタクブロガー (@tomo3000sf) 2016年10月9日
部活は残業を当たり前だとすりこむ製造工程
ぼくは私立だったので免れましたが、公立中学だと部活動は強制ですね。
特に特別楽しいわけでもなかったし、彼女も体育会系のノリにもまれて往生したこともありましたから、本当に「長時間労働」慣れの訓練が主目的ですね。
生産性よりも無駄な忍耐と忍従と消耗に価値観のウエイトが置かれている何よりの証拠です。
あとは、もはやオワコンでしかない年功序列制度の模倣でしかない先輩(年上)絶対主義や足の引っ張り合いにまみれた不毛な日々、下級生は実質雑用要員扱いになるなどの暑苦しい人間関係に由来する壮絶な無駄。
王様ゲームでもやってろって話ですw
立ちはだかる根性万能説
無茶は長くは続かない。 バリピでもなく喪男でもなく、会いたくて震えるでもなくコミュ障でもないリア充オタク、重オタクブロガ…
その上「逃げるな」ってテンプレのようにしか言わない顧問(common)。
これも害悪ですね。彼らの物まねなんてロボットでもできますw
本物の無能と無脳しかいないクソ空間です。
培われるのは社畜根性ばかりで、実際に職場の外を除いて役に立つ学びはほとんどありません。
反比例するように自分で考える力は面白いようになくなっていきますから、本島に無駄でしかありません。
教育というよりは無能化・ロボット化処理という「工程」です。
工業国だけに、工場的な性格は学校にも色濃く出ているようです。
信者クラスタは自殺か精神病院いきというテンプレ末路をたどる。
【50:50処理】学校のいじめか日本型労働のために死んだり病院送りになるか
情報社会でいまだに産業社会のための社会構造をそのまま使い続ける限りその社会の構成員に課せられた選択肢はこの2択といっても言い過ぎではないでしょう。
まさにJR東日本の財政を圧迫していた国鉄車両と伏魔殿化していた国鉄時代の悪習です。
少なくとも、産業用ロボットの高性能化までつなぎと化しているこの国の多くの人間にとっては。
自殺を減らせない理由に社会構造が上がっても何ら不思議ではありませんが、権力を掌握してる年齢層の頭が古くて硬直化しているため、その点はペンディングされています。
マンパワーと根性論でのごり押しが提言・美化されてますし。
あとは、通学の無駄の省略と、実用性の高い授業の提供。
その点で大きなアドバンテージのあるN高は推しです!https://t.co/SegqEFeVOI https://t.co/8ml67EuKJq
— とも提督@重オタクブロガー (@tomo3000sf) 2017年7月18日
このように教育から産業界に至るまで非効率かつ馬鹿げたやり方が放置され、存続する限り、自殺問題の解決はないと思って間違いないでしょう。
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”tm.jpg” name=”てーとく”]鉄道会社でも億の金出してホームドア立ててるのに国は啓発にやる気を感じられないもんな。[/speech_bubble]
おわりに
学校がぼくらに施す製品化処理が自殺にすら導いている。
学校あるあるが奇妙なほど会社あるあると酷似してたり根性論ばかりが無駄に先行しているなど、耐久試験と刷りこみ重視なやり方はまさに工業製品を作る過程です。
学歴フィルターに引っかからないためという意味での実用性を保証するもののそこから先は企業に投げっぱなしなやり方は既に情報社会化している時代とのミスマッチを起こしまくっています。
JR東日本のランニングコストを増大させていた老朽化しまくっていた国鉄車が上げる悲鳴のような軋みが聞こえてくるような心地ですよ。
学校とは本来、将来の自分を作りあげるのにい必要な技能を磨いたり、研究者として我が道を極めるためにある施設です。
そういう意味では今の学校は考える機能を奪い去った作業用ロボの生産ラインと何ら変わりません。
根性や耐久性、メンテ性とランニングコストの面でそう遠く無い未来にロボットは人間の上位互換になるでしょう。
これからは重さ半分/寿命半分/コスト半分の製品(人材)が求められる?
自壊に関しては非常に良くできていますがねw
あとはガチで寿命半分を磨けばこの国はもっといい国になるかもしれません。
目まぐるしく変化するこの国では重さ半分、コスト半分、寿命半分というコンセプトは人材の世界でも有能な考え方かもしれません。
ぽっちゃりタレントもしっかり絞って重さ半分に向かっていますし(^_^;)
そういう見方も加えれば、生産ラインとしてこのまま機能させるにしても学校の姿は変革を迫られてきているようにも見えます。
下位互換の製品を作る生産ラインに存在意義などないのですから。
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