教えるとは・・・こういうことだッ!

こんにちは(^^♪ まずはこちらのツイートをご覧ください。

ツイッタラー が しょうぶ を しかけて きた!

という形で始まったのがこの議論です。

これ見て「もったいないなぁ」と感じました。あるものとの共通項を見出しながら。

議論はあまり好きではないのですが。

先述のツイートにはこのようにお返事させていただきました。

自分なりにこの議論や日ごろ教育というものに関して気になっていることについてまとめてみました。
この方自身は非常にご熱心に麺に関する勉強をされているようにお見受けしたのは事実です。 しかし、残念だと思ったのは・・・

クソリプする人にすげぇ似てる・・・

他人の間違いを指摘して揚げ足を取るタイプのクソリプをされる方のような語り口をされているためだけにせっかくの知識が相手に届かないなぁ、知識がかわいそうだなぁというのが率直な感想です。
「俺は言いたいことを言っただけ!伝わったかなんて本当にどうでもいい!タヒね!!」と言われるのかもしれません。

けど、せっかく知識をアウトプットするわけですし、誰だって読み手から素直に「いいね!」って言われた方が気持ちいい。 本人にとってもそうするだけですごく気持ちのいいコミュニケーションがとれるわけですから、勝ち負けをはっきりさせることが目的のゼロサムゲームにしちゃうのは悲しいです。 気持ちの悪い馴れ合いといわれればそれまでなんですけどね(^_^;)

おわりに

間違いというものは見ていて非常に香ばしいものかもしれません。 ですが、それにも直し方というものがあります。テレビだって斜め45度の角度にチョップ入れるだけが直し方ではないじゃないですかw(しかも根本原因が解決されたわけではないので直ってはいない) 知識を伝えると同時に自らの教化を伴うというのがオレの辞書に載っている「教える」の意味です。
断じて揚げ足を取ることは教えるとはいいません。 あくまで対話の上にあるものです。
せっかくの知識をクソリプに変えてしまわれる方は自分がこれまで勉強されたことや夢中になったことに対して誇りがある一方、自分でもぞんざいに扱って居ないかと振り返ってみてはいかがでしょうか。 それは誰かに馬鹿にされたり、「ハイ論破wwwwww」で傷ついたのかもしれませんし誰にも話を聞いてもらえなかったせいなのかもしれません。

理由はともかく、他人を裁いて自分と同じ犠牲者を増やすのではなく、理解しながら、聞く耳を持って、対話しながら「伝える」。これだけで変わる未来や伝わる言葉があるとオレは信じています。 それがコミュニケーションであり、教えるという作業なのだと。