24時間ずっと意識高いとかしんどくない?って話。

24時間ずっと意識高いとかしんどくない?って話。

それはモビルスーツの性能差が勝敗を分かつ絶対条件ではないように。

バリピでもなく喪男でもなく、会いたくて震えるでもなくコミュ障でもないラーメン食いまくるけどリバウンドしないダイエット成功者なリア充オタク、重オタクブロガーのとも提督です(・ω・)ノ

ぼくはダイエットの成功の時も、ブログ書くの1年以上継続できた背景にも「疲れるほどの意識の高さ」なんてものはほぼ存在しませんでした。

スタートダッシュの時とか長旅から帰ってからの初めの10日間以外は意識なんて高く設定なんてしていません。

意識の高さより大事な要素をぼくはダイエットを成功させた時点で知っていましたから。

ずっと意識高いって疲れないか?

疲れるっていう表現はむしろかわいらしいとすら思う。

例えば、金属の柱が圧を受け続けると折れるように、人間もまた強い負荷をかけ続けると心身ともに折れてしまいます。

それこそ、こんな風に長距離移動を車で実行するなら途中で息抜きをする前提で行動しないと事故につながることくらいは想像つきますよね?

折れてしまった後でも、事故を起こした後始末をつけてから立ち上がることも並の苦行ではありません。

誰もが何年か生きてたら、どんな形であれ「ずっと張り詰めたり根詰めたりしてしんどい」という体験はしているはずですし、それをセーブしていくことの大事さもよくわかっているはずです。

それでも意識高い系であるためには禁欲的行動を自分に強います。

やる気がなければ何の迷いもなく意志力をブーストして無理矢理モチベーションを上げて作業にかかります。

脅迫的、狂信的にに自分を追いつめて緊張をいたずらにエスカレートさせるように。

例えば読書。
もうインプット過多であるにもかかわらず彼らは読書をします。

こういう自己啓発本を意識的に選んで。

実践につながるとかなんて最早どうでもいいと言わんばかりに読み漁ります。

なぜ、彼らはこうも頑なに「意識高い」を解こうとしないのでしょう?

「意識高い系」という名の浪費

日本人の大半は充分に張り詰めた時間を強いられている

「意識高いね」と言われるために自分のエネルギーを常にMAX消費してる状態です。
それで疲れないはずがありません。

同時に相手も疲れます。

頑張ることを求められてるような気がして、会話が辛くしんどく苦しいものに感じられます。

もっとえげつない言い方をすれば、「意識高い系」になるって誰得なんですよ。

それでナンボか稼ぎが出ない限りは骨折り損のくたびれ儲け。
ただ一緒になって疲れて終わりなんですから。

意識高い系=ブラック社畜?

実のところ、「ブラック企業」で消耗し続ける毎日を過ごせば十分達成されてます(^_^;)

無駄に空回って、無駄な業務の山をこなし、無駄な残業に巻き込まれ、無駄に上司や世間の目に対して気を張り詰める毎日。

わざわざプライベートにまでそのピリピリした緊張感を持ち込む必要はあるのでしょうか?

むしろプライベートはこの歌に歌われてるくらい緊張の糸を緩めて神経をメンテしてやるくらいしたってバチは当たりませんよ。

ダラダラとテレビ見るような時間の無駄遣いさえしなければ

 

それでも消耗し足りないと言う人へ

ネットワークビジネスw
あれも24時間365日スゲー高いテンションを持続させないとできないです。

前職の先輩だった人にこの手のビジネスの成功者がいるんですが、彼のSNS観察してると常時ムダに高いテンションでないと彼の稼ぎは崩壊するとしか思えないんですよね(^_^;)

意識が低いぼくのように、惰性でダイエットを成功させた人間にとって「彼が採用している勝利の方程式」はとても扱えたものではありません。

勝利の方程式はこの世にたくさんあって、人によって合うものは違います。

成功するかどうかは関係なしに、ブラックなサラリーマン生活やっててもとにかく意識が低くて低くて物足りない!!って方はネットワークビジネス、やってみてもいいんじゃないでしょーか(^_^;)

ぼくは向いて無いし好きじゃないからやりませんけどねw

 

「ブログで稼ぐ」の極意はきっとその真逆

意志力だけでは絶対に続きません。

気を張り詰めながら、お金のためだけに一生懸命自宅やカフェで作業を続けてみてください。

きっと1か月ともたずに投げだすことでしょう。

理想と現実の隔たりを前に苦悶し、意識の高い文章を読まれないことへ苛立ちを抑えきれず、ひたすら苦行にまみれることになるからです。

稼いでいるブロガーさんも、1年以上継続できているぼくも共通点があるとすれば惰性を上手く使い、改善や改良を楽しみながらしていることでしょう。

「がんばってる」=素晴らしいなんて価値観は究極の無駄。
そんな価値観の人はテレビとともに昭和に帰って下さい。

疲れたり苦しい思いをするようなしんどいことを続けられる人は立派だとは思います。

それも報われなさすぎればそれも続かなくなるのは誰だってわかる話ではありませんか?

これから大事になるのは、「結果」です。
少なくとも積み上げた作業量や気を張り詰め続けた時間の量以上には大事な要素になってくるはずですよ?

 

意識の高さよりも惰性を使うセンスの方が大事かも

テレビはもう、死んでいる

テレビでの消耗はテレビ視聴でさえなければすごい結果を残せるはず

惰性という「意識低い系」な行為が習慣化であり、長く物事を続けるには必要不可欠な要素なんです。

例えば、テレビで消耗してる人たちなんてどうでしょう。

「この芸能人うぜー」とか言いながら「うぜー芸能人」が出てくるその番組なんかをわざわざ食事中にかけながら彼らは何故か毎日同じような時間にその番組を視聴するのです。

なぜそのような消耗ができるのかといえば、彼ら「惰性」で、テレビを見ているに過ぎないのです。

目当ての番組の前後だから、とかそんな理由で習慣的に惰性でテレビをつけてその前で釘付けになって時間を浪費しているという現象こそがテレビでの消耗なのです。

テレビではなく、ぼくの場合は彼らにとってのテレビが「ブログ執筆」に置き換えられただけなんです。

事実、意志力なんてほとんど使ってません。

 

おわりに

最終的には結果が出ればプロセスがいかに手抜きであろうと肯定される。

「がんばりました。しかし、何の成果もあげられませんでした」は、
「手術は成功した。しかし、患者は死亡しました。」と同じです。

患者を救うというミッションが果たされないことは医者としては屈辱的であり、つきつけられた厳しい結果なのです。

失敗までに尽くされた手の数や努力がナンボ積み上げられようとそんなものは本来、慰みにすらなりません。

逆に、どれだけ手抜きな治療がされようと最終的に助かって完治してしまえば胸を張れる大勝利なのも事実なのですから

高い意識は確かに使うべきタイミングがあります。
ダイエットにトライしていた時、脂肪を燃やし切るために燃えるべき時はぼくにも確かにありました。

ですが、無駄をカットするならば惰性もうまく使う必要が大いにありましたし、惰性で続けている時間の方がはるかに長かったです。

惰性という言葉は印象がいいものではないかもしれませんが、使い方次第ではすごい結果を残すためのいい原動力になるでしょう。

疲れにくい分、継続がやりやすくなるわけですから。

意識の高さが物事の成功を決定するわけではないのですから。

すぽんさーどりんく


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