頭下げるとか言う無駄な感情労働、もうやめにしないか?

感情労働で消耗を強いる方も強いられる方も大損こいてるってそろそろ気付いたら?

感情労働なんて必要最低限で抑えるべきだとぼくは声を大にして主張したい。

コンビニで百貨店の待遇が欲しいですか?

299円のミラノ風ドリアを食べるのにシェフの説明が欲しいですか?

ぼくならとっとと目的のブツを仕入れたいしとっとと出された料理にガッツきたい。

感情労働マシマシな過剰サービスが競争に生き残るための絶対条件だというならぼくはそんなレースに参加する意義を見出せません

その理由を含めて感情労働が無駄でしかないことをこの場でぼくは叫ぼう。
無駄に身をやつすバカが1株でも滅菌されることを願おう。

感情労働とは?

【有料のサビ残】会社の飲み会とかいう行事が無駄でしかない理由

ヒトコトで言えば「ご機嫌取り」によって報酬を得るお仕事

労働には感情労働以外に多くの人にとってなじみ深い2種類の労働があります。

ひとつは肉体労働。
これは、引っ越し業者やとび職、農「作業」みたいなガテン系の力のいる作業によって報酬を得るお仕事。

もうひとつは頭脳労働。
これは、商取引やプログラミング、研究開発といった知的財産を産みだすことで報酬を得るお仕事なのです。

感情労働は相手にへり下ったり私情を押し殺して相手を気持ちよくするために感情に関するあらゆる忍耐を要求されるお仕事です。

CAさんや保育士、学校教師から普通の会社員に至るまであらゆる職業で必ずといって発生する上、感情に対して積極的に制限を加えることから非常にストレスのたまる労働でもあります。

感情を上手くコントロールできる人が珍しい日本という環境で「顧客満足」という要素が注目されたために感情労働はより求められるようになりました。

「ご機嫌とり」という作業で生まれる生産性なんて頭脳労働や肉体労働からすれば大変地味なものです。

そのために顧みられることもなく、アメリカの研究者がこの単語を作ってから日本で地味に広がるまでは概念としてすら認識されてこなかった。

まとめ
もっとひどい言い方をすれば、「児童虐待をする親にとっての子供」の役割を務める労働

未熟な日本人と「顧客満足」の化学反応

ドライブデートを絶対に「付き合う前」にしておくべき理由

感情をコントロールできないエセ大人とかいうゴミが増長した

大多数を占める量産型の日本人は昔も今も自分の感情すらコントロールできず、持て余しています。

その証拠に現実からネットに至るまで過度に他罰的に振るまう人間が非常に多い。

多くの日本人は今も昔もいじめに身をやつし、ネットの発展をも巧みに利用し、ネットと現実双方から標的が自殺に至るまで執拗に圧力をかけることは珍しくない状況にありますよね。

電通の自殺とかLINEいじめのようにニュースとして撮りあげられることも最早あたり前になっていますからね。

それに、懐古厨を支持するわけではありませんが、職場でもプライベートでも感情を持て余している人間が感情のコントロールができなくても不自由しない時代になった環境という要因も無視できません。

炎上という祭りでスケープゴートを死ぬまで殴れる時代

チョンボして炎上をした人間をサーチするのはネット世界の発展によって容易になりました。

攻撃だって某巨大掲示板などを使えばあっさりと火元のLINEアカウントからFacebook、メール、電話番号まで漁れますし。

個人情報が暴かれた防衛側と違い、攻撃側はみんな大多数の中の一名として参加できます。

匿名のまま相手を気が済むまで罵倒し、相手の自由意志を攻撃。
その果てに自殺を選ばせることだって難しい話ではないのです。

このように、殺人すらストレス発散の手段として気軽に使えてしまう状態なのですから苦労して感情をコントロールする術を身につけることを考える人間が減るのは道理でしょう?

さらに、企業の競争力を語る上で「顧客満足の重要性」が説かれていることは今や小学生のガキンチョでも知っていること。

当然、それなりに齢を取ってればどれだけ無学であっても知っている。

コンビニやファミレスの従業員を好き放題かつ執拗に感情労働を強いる人間が増えるのは道理だと言えましょう。

まとめ
殺人に刃物や鈍器は必要不可欠となり、気軽なストレス発散手段にすらなったなら感情のコントロールを身につける気が失せるのは不自然ではない

「ごめんなさい」と言われて気持ちいい思いをすればそれでいいの?

頭を下げられようと自殺されようと相手に破壊されたものは二度と戻ってこない

例えば、誰かの過失により損をさせられた状況と仮定しましょう。

相手が泣いて謝ろうと、土下座しようと、その上から踏みつけようと、罪悪感がカンストして焼身自殺をしようと、ダメージが復旧することはまずありえない。

双方の感情の問題に関係なく時間を巻き戻すなり弁償してもらうことでしかダメージの回復はありえないことを知っておいて損はないでしょう。

殺さなくていい人間を腹いせに殺す方がパッと見は効率のいいやり方かもしれんない。
けど、自殺されるにしても金なり賠償の品を受け取らない限り受けたダメージの回復はありえない。

罵倒なんてものはとっとと保証の話をつけてからの話にしなきゃ。
賠償させた上でまだ「腸が煮えくりかえるほど腹が立っていて」かつ「他人をネチネチと責めるほど暇がを持て余している」ならそれも結構なことでしょう。

てーとく
ぼくが相手を責めるなら罪悪感を刺激しながら財源が枯れ果てるまで相手に金品を貢がせますがw

果たして、自分の感情もロクに処理できない頭のもフットワークも弱いゴミみたいなのにどれほどそんな暇があることやら。

まとめ
自分の感情なんてとっとと処理して次の行動をとる。
その速さの価値に気づかないゴミが殺人を娯楽にすると理解しよう。

感情労働を強いる香具師はバカでしかない

罵ってる間に商機を逃していると知れ

勘定労働を強いている間、強いる方も強いられる方もいたずらに時間という資産を浪費していることになります。

攻撃側になっていようと目の前で相手がのどを掻き毟って死のうと、浪費したという事実は消えないのです。

過失によって何かしらの実害があったのなら実害の補償が最優先。

教育するにしたって怒らなくてはいけない義務はなく、むしろ感情労働を課すことで理解や具体的な再発防止策の発案を妨害することになり、余計な悪影響が出るだけでお終わってしまうことにつながりかねません。

部下(女性)
気合が足りず、不注意をしてしまいました。
気合を入れ直し、再発防止に努めます

みたいな体育会系好みなだけで答えになっていない答えを返させるのもダメだし、それで満足してはいけません。

学校教育ではこういう答えが好まれがちなので社会人になって日の浅い人もきっとこんな答えを返すはずです。

てーとく
不注意だったのか。
ここ1週間の寝起きやごはん、帰宅時間について教えて欲しいな。

というように「生活の問題」など具体的な原因になりそうな部分についてぼくなら尋問します。

「ごめんなさい」が実効性のある生産行動につながるなんて思えませんから。

まとめ
溜飲を下げるために相手を罵倒する暇人はゴミだ。
相手の感情を傷つけてる暇があったら相手の病巣を殴り倒せ

おわりに

国同士でも会社同士でも個人同士でも「謝罪と賠償を要求する」と声高に叫ぶ者は多い

ぼくは賠償さえあればそれでよしなので「お金ちょーだい♪」の一言で全部を片そうとするやり方には大賛成です。

それに、わざわざ何度も憎い仇の顔を見るなんて、被害者としても加害者としてもドMの所業じゃないですかw

不幸で不毛に消耗する時間を1秒でも短縮し、スッキリと幸せに生きる時間を1秒でも長く過ごす。
そして、相手にもまた1秒でも早く幸せな時間を過ごしてもらう事を考える。

無用な人死にを必要とするおバカさんが一人でも滅菌されてくれるといいのですが、多くの量産型日本人が殺してでも相手に頭を下げさせることに快楽を感じて溺れている現状を考えれば望む方が酷な話でしょうね。

それでもぼくはたとえ感情労働が執拗に要求される世の中であろうと感情を重要視しない路線を進もう。
その方が得られる恵が多いのだと気づいているから。

すぽんさーどりんく


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