誰かが自分の代わりにやってくれる。 待っていればいつかはチャンスが来る。 甘えるな!
「変わらないことはいいことだ」「変わってしまうことはとても残念だ」とみんなは言います。
ですが、変わらないことにこだわるために悩ましい現実がエンドレスで続くことまでがいいことなのでしょうか?
悩ましい現実が変わらないのなんて当たり前です。自らが動かない限り、そんないつかは絶対にこないのだから。
それでも、「変わらないことはいいことだって」、あなたは言えますか?
みんなが口々に言うように。
- 「変えないか?」食費を大きく合理化する生活に。
- 変わらないことを強いてくる毒親のために悩ましい状況に変化がないって酷くない?
- 「金を稼げるのは人力だけ」って常識はミニ四駆組める腕さえあれば簡単に変えられるぞ?
変わることは、少なくとも前に進むために動いてるということ
逃げることを後退としか見れないのはダサい
確かに、いちばん最初に抱いた志を貫いて目標達成をした人のエピソードは感動に足るものです。
ですが、目標達成に話を聞くものにとっての「感動」は必要不可欠なのでしょうか?
同じことをひたすら続けることだけが能だという風潮はもはや人を縛りつける教義(ドグマ)となっているようにぼくは見えます。
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”オッサン”]転職を繰り返す香具師はダメ人間。日本男児は一所懸命。[/speech_bubble]みたいな物言いが考えなし無限生産されて供給過多に陥っているのです。
ですが考えてみてください。
前進も後退も、右折や左折と同様に「動いている」ことを意味しています。
見方を変えれば後退や撤退というのは「別の戦略目標に向けて進軍している」とはとれませんか?
変わってしまうのは寂しいかもしれないが放っておくと朽ちてしまう
もし、今流れている血液が「変わる」ことを拒むがために流れを止めたなら?
心臓は鼓動を止め命もまた終わるだろう。
変化という悪に抗ったがために
無理してでも変わらないためだけに一所懸命をするというのは文字通りゆっくり自殺しているようなものです。
「相手が不義理でも一途につくして美徳のために生き死んだ」って言えば聞こえはいいですが、悪く言えばただの損得勘定ができない上に自分を捨てた自殺志願者なんですよ。
誰かの感動を産み、消費される感動ポルノが作られるためだけに命が消える。
それって「焚き火の炎が出すエネルギー量と木を育てるための労力が釣りあわない」っていうエントロピーの理屈だと片してしまうにしたって割に合わなさすぎですよね?
死んで朽ちて土に還るという結果からはどうあっても逃れることはできません。
今という瞬間からその結果に至るプロセスは自由にできるけど。
自由にできるものをわざわざしょうもない取引のためにむざむざ苦しみと無駄にまみれさせるようにするなんて正気の沙汰ではありません。
損得勘定のできないぐぅ聖は本物のバカでないとできません。
それでもあなたは、ぐぅ聖という感動ポルノのために限りある命を浪費しますか?
変わらないことを求めたために病んで潰されるのだとしたら?
変わらないってみんなが思うほどいいことなんてないね。
損得勘定を正常に働かせればこういう結論に至るはずです。
30年前は確かに良かったかもしれない
労働万能説が有効で、長時間働けば闇雲に頑張っただけで「エラいね」って評価もされたし、頑張らなくても齢さえ取れば給料は自動的に上がった。
そこに知恵や工夫なんてあんまりいらなかったし、みんなが欲しがる「ラク」も確かにあった。
もっとも、それをぼくが悪いと思うのはぼくの価値観に適合してないだけの話だというのは自負しているつもりです。
それでも結果的に「部隊を全滅させることが指揮官の仕事」「玉砕至上主義」みたいな価値観がもてはやされるのだとしたら少なくともぼくはそんな価値観が強いてくるこのように要求にだけは答えたくありません。
まだ死にたくはありませんからね。
おわりに
さて「変わり映えしないことをむやみに礼賛する風潮について」総括を・・・(おっと・・・誰か来たようだ)
ある国のえらい軍人さんがこういったそうよ。「軍を全滅させることが指揮官の仕事ではない。」
カール・リヒテン・シュバルツ。ガイロス帝国の軍人さんですね。
パリーン(ティーカップが割れる音)
おやりになるわね・・・!?
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