日本の子供たちはなぜ笑わなくなったのだろう

日本の子供たちはなぜ笑わなくなったのだろう
おはようございます(^^♪(自分の)疲労抜き時間のロスに絶賛苦悩なぅな重オタクブロガーのとも提督です!!
旅する百姓えんたくさん(@Entaku98)さんのこの記事見てすごく「自分の見てる世界が限定的なものなんだ」と感じました。
今朝はトレンドもやニュースものではなく、オピニオンものから始まります。

今回のテーマは「やさしい世界」です。

すぽんさーどりんく
 

やさしくない世界

ぼくはこの日本という国を47都道府県すべて行脚したわけじゃない。

たしかにそれぞれの地域によって個性も違うし、その違いを体感することはできる。

それでも、カンボジア、アメリカという比較対象からすると大きな差異は感じられない。

大きな肉の塊がゴロゴロとウォルマートやイオン、コストコの店内をあるいているわけじゃないし、えんたくさんが見たカンボジアみたいに屈託のない笑顔があふれた国ってわけでもない。

47都道府県すべてに暮らすのには何の問題もないインフラ、教育機関、識字率、発達した高速鉄道・道路網がそろってる。

物質的な豊かさにあふれている。治安もいい。

でも、それで幸せといえるほど日本という国は豊かな国じゃないと感じるのもまた事実。
虐待、ブラック企業、問題のある家庭教育、うじゅめ、自殺、体育会系、国民皆兵的なサラリーマン量産教育・・・

みんなやさしくなくて、自分の子供ですらまともに愛せない、穀潰しとか老後の世話をさせるための道具としか認識できてない。

それについてあんちゃさん(@annin_book)とプロブロガーのヨスさん(@yossense)は非常に的を射た意見を発信されています。

「働かずに一生遊んで暮らしたい」人生なんて絶対クソつまらん

ぼくはこのように思ってる。

「つらいことに耐えるのが当たり前」って息苦しい教義一方的に強いることでしか人と話せないからで、多くの人がこれをコミュニケーションと呼んでいる・・・こんなんじゃコミュ障も増えるわけだし、傍らに人なきがごとき振る舞いをする喫煙者や悪質ドライバーが減らないわけですね(^_^;)

あるがままに認める意義

これはとても大きい。

このことについては小太りさん(@kobutoriniki)がすごく心にスっと入ってくる記事をかいてます。

http://www.kobunikki.com/entry/2016/11/21/221742

自分のために役に立つ道具でないと、存在を認められない人ってすごく多い気がします。

例えば、ぼくは自炊をするのでよくスーパーに買い物に行くのですが、スーパーで言うこときいてくれない子供に言うことを聞かせようとする母親の様子を観察すれば「存在を認められない子育て」してる人ってすぐわかるんです。

子どもは大人の言うことを聞くのが当たり前=自分のいのままに動くべき我が意に添わぬものはもはや我が子でない

すぐ怒鳴ったり声を荒げるタイプはドンピシャで子供に対する認識としてこんな図式が成立してると感じずにはいれません。

子どもといえど、欲求も自我もあるわけで、体が小さいだけで、モビルスーツのファンネルとは違うんです。

子どもは親の背中を見て育つ

ぼくの数年前のオピニオンを語りましょう。

ぼくは友人の結婚式に出るなんて仕事より優先すべきではない。と主張していました。

3年ほど前のある日、「オメーの結婚式にはオレも絶対、仕事休んででも行くからお前も仕事を二の次にしてでも来てくれと言った元友人に対してぼくははっきり告げました。

仕事にさえ差し支えなければ行こう。(ぼくはサラリーマンなのだから)あくまでで仕事が優先事項だ。

当然のようにマジでキレられました(^_^;)

身も蓋もない、蓋をしてしまいたくなるような話かもしれませんが、ぼくの時間の1/3の所有者は社長なわけです。
身も蓋もなく。
当時のぼくは今ほどハッキリとは認識していませんでしたが、「売ったハズの時間を自分の友人のために無償譲渡すべきでない」という「サラリーマン=時間商論」を主張しようとしたのだと思います。

「雇われている以上、クライアント(=社長)を最優先すべき=(その時間は)自分という個人である前にサラリーマンであるべきというのも実際言ってました。

今でも、サラリーマンやっている時間はサラリーマンとして、そうする必要とされている時間は会社の利益を最優先にしていますし、そこに余計なプライベートが入らぬようスケジュールを管理しています。 それが身も蓋もない、当たり前の「サラリーマン業」のナマの姿ですから。

ゆえにこの元友人の等価交換取引を目の前でバッサリと斬り捨てたのです。

思い返してみれば、父親もまた仕事人間だったゆえに形成されたものだったようにも思います。

今はちょっと違った考え方をするようになりました。

サラリーマン業=仕事という見方だけに凝り固まってしまうと、「個人として守りたい存在」を「自分の意思を無視して命令のためだけに蹂躙・破壊しなくてはならない」日が来るのかもしれない。

そう思った時にぼくはサラリーマンって立場だけに固執するというのはいい選択ではないな。と思うようになりました。

「子どもに「やらられ仕事」だけが大人の生き方だというイメージを与え、視野を広く持たせることができないんじゃないか?」

「ぼくは子供に対して無意識のうちに従属・服従を強いる親になってしまうのではないか?」

ぼくにも言えることですが、子供が50になったときや、会社に愛想を尽かされたときなんかに「時間を売る意外に能がない人間だったんだ・・・」と気づいて絶望する将来だけは歩んでほしくない。

服従を強いたり「やらされ」だけに終始するっていうくびきから抜け出すには僕から新しい伝統を作っていく必要がある。

「やらされ」⇢「自発」にウエイトを置きなおす生き方を僕から作っていこう。そのために、ぼくの価値観を犠牲にすることなく人の価値観は積極的に認めよう。とぼくは思うようになりました。

おわりに

この辺からこれをBGMとしてならしてみてください♪ 雰囲気でますから(#^.^#)

自分の周りくらいはそんな身も蓋もない現実の中の存在を認識しつつもしっかりとした「やさしい世界を作ろう。」それだけの意義は十分にあるから。

「彼女と一緒にそのまま幸せな大人としての人生を歩んでいきたい」

これがぼくの心からの願いです。

そのためにぼくは日々、彼女にはぼくの生き方を認めてもらっていることを感謝し、ぼくもまた彼女の存在を認め、無償の愛を注ごう。それを曲げない生き方を実現しよう。

だからこそ、日ごろからストイックに人生というゲームにガチで取り組み、身も蓋もない現実を直視しながらぼくのまわりを「やさしい世界にしていく。彼女を認め、我が子を認め、ライバルを認め、自分も認める・・・そんな人生を作り上げるために。

すぽんさーどりんく

 

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