魚5000匹を凍り漬けにしたアイスリンクが閉鎖になるというニュース。
ぼくにはアート作品というのはよくわからんけど・・・そんなわけで、足の速いオピニオンを書いていこう。
一番の冒涜は閉鎖してお蔵入りさせること
ともに眺めていやしたり感嘆に浸るものです。
ぼくは死んだ魚から癒しを感じられないし、ぼくにはこのアートを理解するというのは100年ほど早いらしい。
それでもたった一つ。 これだけは、はっきりとわかる。
お蔵入りにしたために命を奪ったことすら無に帰すようなことをしてしまうこと。
「ご批判を真摯に受け止め」とかそういう逃げの口上は卑怯千万です。
命を奪うということは企画者として5000の命を背負って企画を遂行するってことに他ならないのです。
その規格を完遂させて目的を達する。 こうするしか命に報いることはできません。
消し炭よりずっと何とかできる。
命への冒涜といえば、料理の失敗パターンの「消し炭」化。
生臭い程度ならまだなんとかできるけど、コイツだけは手の施しようがないからなぁ。。。
やらかした時、悔しさやら何やら、、、色々な何かに苛まれる。。。
— とも提督@重オタクブロガー (@tomo3000sf) 2016年11月27日
自分の命をつなぐことにすら使えないこの悲しみ、悔しさは、、、それを自分でやらかしたって事実が突き付けられる・・・何とも言えないです。
批判なんて気にするな!批判のためにひざを折るな!
力量あたわずで折れるのは仕方ない。物理的に何とかできないから。
けど、批判によるものはその限りじゃない。
無視すればどうとでもなるし、支持者ってのはわずかでもいるもんです。少なくとも自分だけは。
全くもってその通り( ´ ▽ ` )ノ
一流の経営者は分野ごとに専門家を雇ってその人ら以外は基本的にアドバイスを受けないってくらい徹底してると聞きます。
有象無象に流されるような根無し草には用無しだと断言するくらいでちょうどいいですね(^^) https://t.co/u56soeM3L0
— とも提督@重オタクブロガー (@tomo3000sf) 2016年11月27日
命を背負わずにモノを言う者に負けてはならなかった。こういう負け方、ぼくは大嫌いです。
おわりに
これがぼくの意見です。
ぼくは自ら命を投げ出しかけ、死ぬ間際で「生きたい」と願って、そして生還できた人間だから。