「学校で教えてないから」という「公教育の限界」

「学校で教えてないから」という「公教育の限界」
公教育ってやっぱり老害を量産するシステムなんだ・・・としか思えない重オタクプロブロガーのとも提督です。

偏狭な価値観で正しいか正しくないかを決めつけて、決まった量産型フレームに子供たちを流し込んで量産機に仕立ててしまう。

このニュースはその最たる例だとしか思えないですね
目次

もくじ

もくじ

偏狭な価値観で決めつけをする老害のやり方そのもの
大企業に入れという大多数の大人・大企業志望の大多数の就活生
教職員の負担という意味では合理的
教育って本当に流れ作業的でいいのかな
おわりに

偏狭な価値観で決めつけをする老害のやり方そのもの

まさに、「お前は間違ってる!!」「人として~~~」とのたまう老害はアルツハイマー患者みたいに妄言を真実と騙って若者によく押し付けようとします。

不必要にムキになって。

人は平等なんかじゃなく、天は人の上に人を作りまくってるし下にもまた同じように作りまくってる世の中なわけで・・・(^_^;)。

それを知っている人は決して自分の価値観をかように押し付けるようなマネはしませんよね?

そして、そう言う無知を振りかざしてる人に限って奈落の底に近い場所に位置してるわけなんですが(^_^;)

「学校で習ってないからこれは間違いなんだ!!!」という姿勢はまさにそんな姿勢といえなくもないっしょ?

大企業に入れという大多数の大人・大企業志望の大多数の就活生

ぼくは思うんです。老いも若きも老害だらけだと。

就活生も親世代も「安定してる」って大多数が口をそろえてお題目のように唱えながら大企業や公務員を志望するわけです。

親に強制されてる者もおれば、考えなしにそういう大人の意見をただ鵜呑みにしている者も多いように見受けられます。

中小ベンチャー指向・独立起業という人はかなりマイナーで、「4回生になったら就職のみを考えよ」、「大卒⇢大企業・公務員が王道」なんて多数派のみんなが持ってるものの見方のほうが狭い価値観のように見えて仕方がありません。

教職員の負担という意味では合理的

とはいえ、デメリットばかりではないのも確かです

教育の豊かさを追求することも大事ですが、教職員もまた人間。 彼らを過労死させないためには必要な措置なのかもしれない・・・という見方だってできます。

テストの採点という作業って苦行そのものだと思いません(^_^;)? 児童・生徒40人×受け持つクラスという量は膨大そのものなわけだし。(おお・・・想像しただけで目がちかちかしてきおる・・・)

その上、PTAや保護者からの陳情、保護者や生徒同士の「お客様トラブル」への対応、授業の準備等・・・想像を絶する激務です。

ガッコの先生の労働量って本当に頭が下がります。 テストは全てマークシートで読み取り機を使って無情に捌いていくくらいでちょうどいい・・・とすら思いますね(^_^;)

教育って本当に流れ作業的でいいのかな

いい面とよく無い面。どちらの顔を持つのが教育者のお仕事です。

これからは無機質な「詰め込むためのお勉強」はとことん無機質にしていき、精神的な交流の面をとことん手厚くやっていく・・・という風にシフトしていくというのが望ましいでしょうね。

いっそ高校受験とかもヤル気にあふれたゲーマー的な生徒用の部活にしちゃうとかw

おわりに

教職員の肉体的負担を考慮しつつ、やる気のある生徒にはとことんこたえていく・・・これからの教育はロボット化の波など・・・労働市場が波瀾に巻き込まれていくにつれて迷走していくのは間違いないでしょう。 生徒としてのつらさややるせなさもいたいほど感じられるし、もっと豊かな教育をしてやれんのか?とは言いたいけど、教職員の労働量も考えれば賛成とも反対ともいえないというのが本音です。

今のままでも充分しんどい教職員一人が抱える負担を軽減するところから始めなくてはならない。というのがぼくの意見です。

子供に豊かな教育サービスを・・・とは言ってもサービスを提供する側が故障してしまっては元も子もありませんからね(^_^;)

すぽんさーどりんく
 


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