天動説が常識化してなければ地動説で語らないと正解判定が出ない時代にでも生きてるわけ?
この様な時代錯誤な現象が公教育の現場では日常的に起こっています。
なぜ、受験戦争にすら使えないような硬直した学習のために子供は消耗を余儀なくされるのでしょう。
そして、そこからわかることはとは一体、何なのでしょう?
[outline] [su_box title=”あわせてよみたい” style=”soft” box_color=”#f5502b”] [/su_box]予習を許さない公教育
習ってない内容で答えを出せば世界の常識であっても不正解
たとえ導き出した回答が正しかろうと、プロセス部分で「みんなと違う方法」が使われた場合、学校の教師は不正解扱いにするというのが学校教育という世界での「模範解答」なのです。
答えが正しかろうが、常識の範囲での答えだろうがそんなことは「知ったことではない」んですよね。
そこからわかることは、能力開発や学力向上よりも優先されるべきこととして重要視されている目的・事項が存在するということ。
まるで「みんなと同じ」ということを最重要にすることを至上とし、学校という場所が治外法権が作用している閉鎖空間であることを象徴しているようです。
これはニュースにもなっているようにお芝居でもなければ夢でもない、「リアルワールドで起こった出来事」。
先々を予習するよりも復習させ、「後追い」スタイルを至上だと刷りこむのにこれほど有用な手口はないでしょうね。
後追い式教育というのは、人を「ただ誰かの後ろをついていく」だけの存在にしてしまう処理として非常に有用です。
先読みを許さないということは「自分の頭で考える」ということを放棄させることに他なりませんゆえ。
人の可能性を潰して均すために公教育は存在する
いろんな年代の人の体験談が載っていた。#metoo は個人的な問題だとか自分とは関係ないと思っている人、読んでみてください。 https://t.co/1Yvrboxv5E
— はあちゅう (@ha_chu) 2018年1月14日
可能性を潰していち労働設備としてロールアウトすればイノベーションの芽を手堅く摘める
若い芽を潰すことは国家、ひいては人類の発展や革新にとって大きな妨げです。
ですが、既得権益を守るということに関しては非常に有用です。
例えば大企業内で日夜行われていた派閥競争や若手と重鎮の駆け引き、そしてブラックな労働。
#Mee tooで話題になったはあちゅうさんの事例もそう。
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はあちゅうさんという新人の自尊心をピロシキの中のお惣菜みたいにみじん切りにして自分の後を追うだけの奴隷に仕立て上げようとした電通時代の岸氏はわかりやすい事例。
イノベーションの芽を摘んでおけば自分が死ぬまで自分の権威を守ることができます。
考えてもみてくださいな。切磋琢磨するための体力の面で若手に劣ると感じれば若手つぶしに奔走するのはごく自然な話じゃないですか。
国家という範囲でイノベーション潰しの存在理由を問う
では、それを日本という国家の権力内の話に持っていくとするとシルバーデモクラシーという流れに持っていこうとするのは至極当然すぎるわけです。
国会で日夜議論に明け暮れて茶の間にしょーもない話題を届け続けている国会議員なんてジジババの塊じゃないですか。
そのジジババが安心してしょーもない会議に消耗し続けつつ甘い汁を死ぬまで吸い続けようとするならば何が最善の一手になるでしょう?
高齢社会に乗じて若手を使い捨て、老人を生かすための糧にしてしまうことこそが彼らにとってのベストアンサー、という風にはなりませんか?
票も確実にとれるし、自分の地位を脅かすイノベーションも潰せる。
こんな王手飛車取りみたいな手を打たない打ち手はいませんよね?
教育と教育熱の加熱と暴走の背景に潜んでいても不思議な話ではない。
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下々を未開な価値観に釘付けにするための公教育
さっき親に仮想通貨ってなぁに?と聞いたら、
「社会倫理に反している。あってはならない。手を出す者は犯罪者」
と返されました。
直後ビットコインのテレビCMが流れ凍りついた。何でも批判から入らず、とりあえず立ち止まって考えよう。時代についていけないからと言って拒み始めたら、それが老化
— 有漏蕁麻 (@Urojinma) 2017年12月22日
収奪を合理的に行うにはちょうどいい「価値観の刷りこみ」
「ルールを守れ!」とか声高に叫んでくれる人々は既得権益を守りたい人にとっては最高の存在でしょう。
自分たちが手を下さずとも、収奪される側同士が家の中で勝手にイノベーション潰しをしてくれるのですからね。
誰かが誰かの利益を守るために設定するためにルールというものは存在します。
いや、実際にいっぱいいるんですよw https://t.co/vUqYUljIjN
— イケダハヤト@仮想通貨 (@IHayato) 2018年1月15日
先行者利益を取りに行く者を「ルール」を使って糾弾しておけば、自分たちよりも豊かになる人を減らせます。
それゆえ「ブーイング」のために消耗する人は多い。
マクロな視点でこの現象をとらえればルールをこのように使う者がいるということは、既得権益に安住する人の落ちぶれ方が減衰することになりますね。
公教育の場はルールを絶対視し、誰かの後ろについていくことが一番尊いのだ、という価値観を刷り込み、イノベーションを破壊するにはうってつけ。
若者を未開な人間に仕立て上げるのに最適で、現に老害のコピーライセンス量産機みたいな若者がすごく多いことも納得できます。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 老害のレベルで人々を固定するだけの理由と材料が日本には揃いすぎている。[/su_box]
おわりに
天動説というイノベーションがないことこそが多数派にとっての安住である
多数派とは老害的価値観で生きている人たちのこと。
言いたいことも言えず、先行者利益を羨ましいと思いながら後ろ指刺されることを恐れて行動できなくて後ろ指を指す側にいたい惰弱な凡人たち
そのために既得権益にすがる老いた人にいいように使われていて、そんなことにも気づけない脳みそド腐れゲロ豚ビッチ野郎ども。
搾取の中に進んで身を投じる様子はまさに家畜として飼われている羊ですね。
飼育され、税や購買という形で毛を収めさせられ、ドン詰まりになったら肉にされておいしくいただかれるだけの運命にある羊です。
社畜という言葉がサラリーマンに対して宛てがわれているのは何故かと考えれば普通はやるべきことがハッキリするはずですが多くの人は現状維持にすがりつく。
公教育というものが何をもたらしているのか、という答えはそれで充分に出ているのです。
少し考えればその背景さえ見えるほどですよ。
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