【反面教師・ベッキーに学ぶ】応援に依存しない本物の恋愛をする方法

恋愛記事も書けるリア充オタクをさせてもらってる重オタクプロブロガーのとも提督です。

不倫騒動が落ち着き、メディア露出を再開し始めたベッキーが恋愛に対して壮絶なはき違えをしている記事を見つけたので書かずにはいれなくなった。

ベッキーだけではなく、彼女と同じような思いを持つ人は多いはずです。 過去のぼくもそうだったから。

もくじ

もくじ

応援は必須条件ではない

情熱と決意と自由

やりぬく意義は罵詈雑言の量に比例する

おわりに

応援は必須条件ではない

誰だって、何をするにしたって周囲の理解があった方がやりやすいものですね。

だからみんな「応援されたい」と思ってしまう。

逆です。

応援してくれるヤツを大事にするんです。だからこそありがたみも身に染みるというもの。

それに、不倫はもとより普通の恋愛だって周りからの反感というものは自然と買うものです。

ボッチ時代はぼくも思ってましたよw

リア充爆発しろ!!!

ってwww

万人に応援を求めるなんて骨折り損も同然です。

情熱と決意と自由

これらこそ、恋愛に必要なものです。

情熱

恋愛とは非難や無責任な反対意見に押しつぶされる程度であるならばやらない方がいいもの。

だからこそ「やりぬく」だけの情熱、それをもたらすだけの「好きという気持ち」は必須条件です。

恋はパワーです!

決意

恋愛だけでなく、事業でもそうです。

例えば「ブログで稼ぐ」とか言ったらみんな無責任に「知らない」という理由だけで「やめとけ!」を矢のように受けますよね?

先述したように、恋愛もまた周囲のノイズに負けないだけの情熱、そして・・・「決意」も必要となります。

決意して折れないことを己に誓うのが本物の恋愛です。

自由

上の二つのような剛直さも求められますが、柔軟さもまた要求されるのが恋です。

「自分に対して裏切る」自由を与えていることを前提とすることでしか、健全な恋愛関係は成り立ちません。

昨晩、ぶんたさんとこのようなやり取りをさせていただきました。

相手にも自分にも「一緒にいる自由」、そして、「離れる自由」を与えてその上で「いっしょにいたい」に素直になってそれを貫いていく。たとえ周囲の罵詈雑言にかき消されそうになっても。

ビジネスでも雇用関係でも同じです。恋愛もまた。

だから・・・

こんな関係になったら、上司と部下・・・いろんなしがらみがあったとしても雇用関係という縁(えにし)の賞味期限は切れているんです。

強制は甘えと妥協とその場しのぎの塊・・・・そして、セカンドチャンスばかりを求める惰弱な心と思考停止に陥った腐った脳みその持ち主であることの何よりの証です

何人も強いない・虐げない。 何人にも強いられない・虐げさせない自由の徒であることが恋愛のみならず健全な関係を築くのに必要不可欠なのです。

やりぬく意義は罵詈雑言の量に比例する

書けば書くほど、恋愛ってのはビジネスと似てるなぁと思わずにはいられませんが、そこらへんの有象無象から罵詈雑言を浴びせられないような仕事に目を見開くような価値がないように、恋愛もまたそこらへんに転がってる惰弱な犬っころにちやほやされることを求めているようではダメです。

周囲の有象無象に応援がないと成り立たないものなんて学校教育のきれいごと並みにあり触れていて希少性がなくて、それに比例して価値がない。

ぼくのまわりは意識の高い人が多いので、有象無象がいくら異を唱えようとさえずりが聞こえないほどに応援してくれます。

だから僕は彼らを素直に応援できるし僕の日常の中で罵詈雑言が必要になるシーンなんてあおり記事を書く時くらいです。

不倫なら、奥さまや旦那から相手を奪うだけの矜持と覚悟、魅力も必要です。

ベッキーはあの時やりぬくべきだった。不倫と知ったその瞬間から奥様との戦争になったと自覚して、正面から向き合って。

おわりに

芸能界でそこそこの地位に上り詰めたこのベッキーですら、仕事から恋愛に戦場が移れば応用が利かなくなる。

だからこそ、結婚が恋愛結婚前提の世の中になった今、そこら辺を理解する必要性があるのではないでしょうか。

ベッキーと同じ轍を踏まないためにぼくらはベッキーから大いに学んでいこうじゃありませんか。

すぽんさーどりんく