小学生:いじめられる方も悪い=日本はいじめ問題を解決できない

小学生:いじめられる方も悪い=日本はいじめ問題を解決できない
いじめって交通事故の過失割合みたいに処理するものなの?

小中学生の3割がいじめに関するアンケートに答え、「いじめられる方も悪い」という回答をしたというニュースが物議を醸したこともありましたね。

大岡裁きをするためだけに、「いじめられる側も非難する」という歪んだ認識が常識化している気もします。

頭が固い上に弱い人が多い日本人がそういう常識を持つと「逃げる=悪」みたいな別ベクトルの常識まで持ちだされがちな環境のせいでいじめられる方ばかりが地獄を見ることになる。

そんな現状に納得できない人が読んでて気持ち良くなるよう、もの申してみました。

「被害者だって悪いとこあるよ」という現代日本の常識

現代日本では大岡裁きへのあこがれを隠れ蓑にした加害者優遇すら常識化している

電通の自殺事件の時だって、自殺社員の上司はパワハラを日常的に行っている異常な状態でした。

学校社会とは今の時代遅れな産業時代の常識によって構築された社畜社会の縮図です。

もっとも、学校教育システムを運用する者にとってはいじめってそれなりに旨みのある現象でもあるのでそうそう改善のためにテコ入れすることもないんですがね。

「ガス抜き」という意味では治安維持には一役買ってますし。

 

いじめは学校社会からずっと残り続ける

日本の学校の部活動(特に体育会系)はまさにこのように電通のパワハラ環境と酷似した無駄と徒労のるつぼそのものです

いじめは年に7.5万件超というすさまじいペースで発生しています。

しかもこれはあくまで顕在化したものの数字で、インターネットなどを使った巧妙な手口のものは発覚しにくく、あくまで「氷山の一角」なんです。

教育の現場では「いじめられる方が悪だ」という歪んだ認識を上手いこと常識という言葉や処理、調停を通してオブラートに包んで教えられます。

その上で「いじめはいけないことです」と言われ、ぼくたちは日本の常識としていじめというのは黙認されてしかるべきものなのだと教わっていくのです。

このようなパラドックスを放置・容認することによって「いじめ」という現象が「ガス抜き」として機能し続けることで日本は暴動という大きな社会的混乱から難を逃れてきたようにすら見えることがあります。

 

違うことを許せない社会

大多数の日本人の大好きな言葉は「普通」と「常識」です。

「俺たち仲間だろォ?」的なウザいノリも好きで、梅雨時のナメクジのように鬱陶しいことを抜かすんですよね。

「出る杭は打たれる」というイケてない常識をいまだに信奉していて、ひとりでも違う方向に行こうとするやつがいたらみんな「ビタ1文にもなりはしないのに」みんなで叩いて「みんなと同じ」に仕立て上げようと全力を尽くします。

それで、そうとも気づかぬまま才能を潰しあってるわけですからトチ狂っているレベルで「平等」を盲信し続けるためだけに。

考えることなく反射で言葉を返すだけしか能がないただ操り人形として一生を終えていく人間が減らないのも「いじめ」というガス抜きサービスを利用できるなどある程度のうまみが残されているからです。

寿命半分・コスト半分を求める使用者側もうまいこと考えてるな、と感心してしまいそうになるほど「違いを容認できない社会」は彼らの都合のいいように残っているようです。

常識や平等(均等)を絶対的価値として盲信して、それを押し付けることしか学ばず、違うことを認めないばかりに未開人化が加速し、取り残されていくのです。

 

教育システムが本性をむき出しにした実例

「ウチは外国人にさえ黒髪をルールだと厳格に指導しますよwwwww」という姿勢を明確に打ち出し、先天的に髪の色素が薄いJKに訴えられた高校があります。

黒髪原理主義に逆らったとして「修学旅行の参加禁止」「教育機会をはく奪」などの人権侵害すらやらかしたのです。

人種のサラダボウルである米国からすればKKKも真っ青な未開人のやり方ですよ。

高校側は性との訴えを取り下げるよう強く要望しているようですが、こんな学校の制度を放置してる未開人こそ裁判によって教育される必要がありますね。

外国人留学生が不安を覚えるし旅行者にまで波及するという噂が流れ出したら日本の観光立国にまで深刻な影響が出そうです。

こういうファシストみたいなやり方は駆逐されてほしいものです。

 

ゆとり世代という生け贄世代。いじめても罪にならないと思われたスケゴ世代

老害のガス抜きのために弄ばれた悲運の世代

これも発端は「最近の若者は・・・」なよくあるノリがきっかけでした。

これまで通り、若者だった彼らが30後半になって若者でなくなったような扱いを受けていくころには忘れ去られていくはずでした。

ところが、「ゆとり世代」というキャッチ―な言葉でマスコミがそういうネタを発信してしまったため、「この世代はゆとりというろくでもないクズが固まった世代だ」という認識が国民レベルで根付いてしまい、大きな影を落としています。

これは世代レベルでのいじめです。

使えない理由は「ゆとりだから」。
それを正当化するために社会全体が使える人材も「使えないゆとり」とひとくくりにして使い捨て食器のように使い捨てるのです。

ゆとり後の世代も彼らの二の舞にならないためには老害世代が会社を動かす立場にたくさんいる以上、老害世代とと一緒になって「ダメな先輩」として扱い、いじめに参加しなければ生きていくのにも不安になるほどのいじめです。

末期の国鉄も真っ青な光景ですよ。

考えないのではなく、考えたら潰れるという1ランク症状が悪化した状態へ既に実社会は突入しているのです。

 

ゆとりの僕はどう思っているの?

何とも思ってません。

確かに、被害者だと声高に叫ぶことは誰だってできます。
「ゆとり世代だからお前はクズだ」と考えなしに言ってしまうのと同じくらいには。

「助けて」と何度叫んだって無情なほど世の中は変わりませんし、世の常識もまた代わってくれる日は永遠に来ません。

いつだって世の中は弱肉強食で「強ければ生き、弱ければ死ぬ」という自然界の大原則があります。

いち生物である以上、自然の摂理に則して生きることこそが、下らない常識を打ち破る突破口だとぼくは思っています。

いじめという土人みたいなやり方にNoを唱えるならいじめる側とは違った価値観を持って彼らの上位互換になる必要があります。

常識を捨てようと守ろうと、常識そのものが変わろうと強い人間が勝つのみです。

 

「いじめ脱出」への処方箋→三十六計逃げるが勝ち

変わり映えしない世界を誰かが変えてくれるわけがない。そうなるころには死んでいる。

というわけで、「世の中が変わってくれたら」とか言うご都合主義的展開を待っている暇はありません。
行動あるのみです。

さっさとしょーもない集団に見切りをつけてバックレましょう。

 

無駄を切り捨てたいじめ容認社会での勝利の方程式

戦略的に不登校になってしまい、完全な逃げ切りを図ります。

表面的なイメージは悪いですが、みんなという存在ごとみんなが信奉する「常識」という名の無駄と縁を切るという行為なので、生存戦略としてはすごく合理的な判断です。

幸い、「建前上」はいじめというのは悪いことになっているので、登校しないことに顔をしかめられようと病欠並みに効果のある免罪符が発行されている状態なので大手を振って休むことができます。

 

みんなと違う=希少価値

みんなと違う見値を強引なやり方でこそありますが、実現することができます。

特技と好きなことにひたすら時間を使って情熱を燃やし、己を鍛え上げ、社会に出た時点でみんなを出し抜くのです。

一意専心で物事をやる環境を整えることでストイックに物事に取り組み、社会人になってから圧倒的勝利を決める。これが不登校という生存戦略です。

常識が変わるよりも早く快適な環境を手に入れて大きな勝利をものにできるというこんなぬるい環境を逃さない手はありません!

おわりに

いじめっ子のみんな!いじめみたいなダッサイことやってる暇があったら勉強しましょうw

でないと、不登校に追いやったはずの負け犬がこの記事読んだために逆転ホームラン決められて泣くことになりますよ。

それをぼくが言ったところでいじめはなくならないから「逃げる」が最高の武器という状態はしばらく続くでしょう♪

いじめという手段は人を簡単に虜にしますし、その旨みをしっかり受け取る人間が一定数いますから、考えない人間にとってはある程度居心地のいい環境ですし。

すぽんさーどりんく


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