政治より己の生活向上がモットー!重オタクリア充のとも提督です!
「若者向け政治団体SEALDs」だった人たちが新しい政治団体を作って若者に政治への関心を向けさせようとしているらしいですが、それはあまりにも遅すぎる活動だとツッコミを入れます。
政治への関心を現時点で若者が持ったところで避けようのない袋小路が今の政治には確実に用意されていますからね。
若者の自殺者と変死者の総和が年間70万人を超え、その副作用のおかげで国じゅうが混乱でもしない限りまず、抜本的な改革を中央が断行するとは考えにくい。
破滅的な結果を見て国民の大多数が納得しない限り政治家というのは動きづらいと見受けられますからね
文革を止めるのに中国も苦労した、という他国の前例もありますからそう考えるのは決して不自然ではないでしょ?
[outline] [su_box title=”あわせてよみたい” style=”soft” box_color=”#f5502b”] [/su_box]シルバーデモクラシーとは?
ジジババ優遇+若者冷遇
現行の民主主義の持つ多数決の論理と高齢化が結びついた結果、若者を二の次とし、まず高齢者の声から聞くような図式の民主主義となっていきます。
コードギアスR2の終盤で皇帝ルルーシュがブリタニアの総人口を利用して超合衆国乗っ取りを画策する場面を見返すと高齢化によって何が起こるのかというのが視覚的にイメージできるのではないかと。
ブリタニアが総人口で超合衆国の議決権を掌握するように、日本の政策の決定権を高齢世代が数にものを言わせて完全掌握できる下地が整うわけです。
政治家は得票できないとノージョブに陥りがちですので、当然のように大きな票田から票を集めようとするでしょう。
現行の高齢世代の圧倒的優位を調整する法案をモリカケでヒートアップしてる時間を割いて出もやってもらわないと若者としては非常に困るのですが、多分無理でしょうね。
しっぽを振る先がしっかり決まってた方が活動しやすいでしょうし。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 政治家や年長者にしっぽを振る生き方は得策ではない。 副葬品の奴隷志望でもない限りは。[/su_box]
まず、年寄りの顔を伺う世界
年寄りの納得が絶対条件になり、そのために何人若者が死のうと顧みられることのない世界
政治家だけではなく、役人もメシを食うためには出来るだけたくさんの納税者に国を信頼してもらう必要があります。
できるだけたくさんというところがポイントで、これから増えるのも現時点で数が多いのも若年層ではなく高齢者じゃないですか?
すると、公共サービスも政治家のマニフェストや活動方針と同様に高齢者優遇で若者は二の次という姿勢を取らざるを得ません。
若者に対して今までの日本では考えられないホド生産性が過剰に要求される時代でありながら日本の舵を握る議員さん方を直接支えるのは極めてシンプルな多数決制を採用する日本ではあくまで高齢者。
この状況下では若者が政治にいくら興味を持とうと数の論理で年寄りがそれを押しつぶすことになるのです。
政治をあてにするということはそのまま年寄りにヘーコラしないとニッチもサッチもいかない世界が待っていて、政治に興味を持てば持つほど消耗する未来が約束されてしまうのです。
地方創生で食い物にされる若者たちの例
高齢化が爆速進行中の地方ではすでに「シルバーデモクラシー」らしい問題が牙を剥いています。
年寄りの納得がないとニッチもサッチもいかず、新しいアイデアはことごとく潰され、生産性を上げることよりも年寄りの顔を伺って年寄りの満足を最優先することが求められている状況。
その結果、有能な若者も地方創生の舞台となる地方も無駄に消耗していくという問題があちこちで起こっているのです。
身近な例を見てみましょう。
ぼくら世代の中に過度に支配願望の強い親に苦しめられている人は珍しくありません
何かを始めると、親は必ずと言っていいほど反対します。それは、子がちゃんとそれでやっていけるか心配するが故のものなので、子はそれを受け入れつつ黙ってしっかり稼ぐ。すると親は安心して黙ります。ある意味、親は金でコントロールできます。
— やまもとりゅうけん (@ryukke) 2017年3月15日
このように高齢世代は若年層が新しいことをやろうとすると老婆心という正義を楯にとりあえず反対してきます。
これは理屈抜きの定石です。
もはや反対してる場合でもないほど改革の必要性が迫られていようとまず反対してまず足を引っ張る方が価値のある行動だと思っているかのように思えますが、これはあくまで脊髄反射のようなもの。
ある意味どうしようもない袋小路ですね。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″]政治という世界に注目しても袋小路しか見えない。
親世代以降の行き過ぎた支配欲はぼくらなすがままにが搾取されるしかなくなる未来をみすみす逃しはしないだろうから。
[/su_box]
国民の大部分が現在(いま)以上に目先のことしか見なくなる
偉い人が近視眼的になれば下々も同じ方向へ走ることになる
情報というものは川の流れのように上から下に死か流れることはできません。
この理屈で行けば、国の重鎮たちが年寄りの票にすがるようになってくると国民全体の意識や気質もかなり貧乏性な方向へ向かっていくことになります。
大衆とは先導者がいないとまとまらないものですから。
と、なれば必然的に国のリーダー層の気質や人格を無意識にある程度トレースしてしまいます。
もちろん、どんな議員先生でも「砂上の楼閣」という言葉くらいはご存じでしょうから票を直接くれる年寄りを支えている若者を支えなければ根本から財政基盤が崩れるのをわかっています。
それでも、いかんせん年寄りの満足を優先しないことには発言の一つもまともにできないため、嫌でも目先のことばかりに気を取られてしまうのです。
結果、そういった現象によって形成されたりゆがめられた人格ををコピーした日本の大衆は必然的に目先の利益ばかりしか見ない国民になっていき。衰退に巻き込まれていくのです。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 早い話、政治というものに依存する考えを捨てて個人の力をつけないと年寄りごと埋葬されるしか選択肢がなくなる。[/su_box]
今の民主主義を改革するか自立か。
持続可能性を考える上でやるべき対策
しっかり目に政治を持続可能性に目を向けた方向にチューンするなら若者が票を2持つなど、選挙戦を数の論理に潰されないハンデキャップ戦にするなどして今の民主主義を改革するのを待つことになるでしょう。
あまり世の中の構造を変えず、となれば政治に見切りをつけて政治による恩恵はさっさと年寄りにくれてやると決めてしまうことになりますね。
「他人に頼りきりにする」ことをやめてしまうか、頼れる環境を作れるよう動くかの2択が今の若年層に迫られている決断だといえます。
政治に見切りをつける方が早くていい選択
前者はここ十年やそこらではまず実現できませんからね。
そもそも、そんな改革が実現できる見込みがあるのなら今ほど政治機能が制度疲労のラッシュに悩むこともないでしょうから。
残念なことに現実はそうじゃない。
政治というのはできるだけ変わらないことにしがみつきながらやっていかざるを得ない部分もあるし、メイン有権者の高齢化が加速していく世相ならますますそういう部分も増えていくことになります。
老いも若きも消耗しきって国じゅうが荒れ果てでもしない限り抜本的な改革というのは行われないものですからね。
ぼくらが生きる21世紀という時代はぼくらの親以上に待っているだけでは地獄しかまっていない世界。
そんな世界で生きていくことを望むなら恥も外聞も捨ててぼくらはどんどん新しいことに取り組み、今までの日本人では考えられないほどの生産性(一人当たりの)を重視して身につけていく必要があります。
他人が加速度的にアテにできない時代と決まっているなら徒手空拳は必然ですし。
おわりに
若者が政治に関心を持つとかそういった啓発自体、ぼくはいいことだと思いますし素晴らしいことだと思います。
ただ、興味を持つことから始めるにはあまりにも環境が悪すぎる。
興味を持つことありきで考えるのは環境にマッチしていないため、良いアイデアではないと言いたいのです。
だからぼくは、政治や勤め先に依存してる同年代の人間が何人倒れようとも自分とその周りの数人の生活くらいは自分で守っていけるように爪や牙を研ぐことを考えますしその方が早くて実現性も高いアイデアだと言い続けます。
「ジジババのために解体される運命を座して待つ」
それをぼくらは、高齢世代から望まれていると知っているのですから。
[su_box title=”あわせてよみたい” style=”soft” box_color=”#f5502b”] [/su_box]