努力が実らないのはどう考えても方向性が悪い │ 陰キャのモテ道オンステージ
努力が実らないのはどう考えても方向性が悪い

やみくもな努力ではみんなを出し抜けない。+みんなを出し抜けないと消耗するばかりだ。

やみくもな努力を推奨する常識や教育は豚のエサにすらならないと思っているタイプの記事量産魔人。重オタクリア充のとも提督です

「俺はこんなに苦しい思いして頑張っているのにどうしてクソみたいな結果しか出ないんだ?」

もはや苦行に耐えるという美徳が実質的価値を失っているからです。

どのように既存の価値などが変わり、闇雲な努力というカードがただの紙切れになってしまうことがわかり切っているぼくらはこれからをどのようにSurviveしていくことになるでしょう?

努力するうえで大事なこと→「方向性」>「量」

ロボット相手に人間の努力は遠く及ばない。勝てるゲームを手堅く拾え

ロボットほど忠誠心に優れた体力バカは存在しません。

つまらないことで怒ったり、クレームを入れてくる人間より迅速に仕事をこなしますし、不満をこぼすこともなければ盾突くこともありません。

そんな相手と戦うよう仕向けているのが学校教育です。

 

学校教育はロボットに置き換えられる人間しか作れない

例えば、古典で習ったような内容とか微分積分なんて使いますか?

使いませんよね?

では、なぜそのような無駄が放置され、ぼくらは闇雲な努力を強いられなければならないのでしょう。

 

使う側の大多数がロボット人間しか扱えない無能だから。

忠誠心をカンストさせることしか考えられていないため、才能や個性、考える力は殺されて無能化するよう今の教育は組まれています。

才能をぶっ壊して生産性を大幅に下げることになろうと考えることも忘れて闇雲な努力に埋没してもらわないと使う側が困ったのです。

無能化してもらった方が権力者も都合がよかったので損失に対して目も瞑れる、といった背景も無視できないでしょう。

もっとも、闇雲な努力や無能化によるしわ寄せ鉄道自殺、歯止めの利かない高齢化問題の加速という歪みをもたらしているのですがね。

そのせいで発生した経済損失ってどれほどのものなんでしょうね?
数字に出せる人がいたらぜひともご教示頂きたい。

 

世界では人間の努力を斬り捨てて機械化を推し進めている

人件費は給料の2倍。マシンなら電気代上乗せで済むし24時間こき使ってもへばらない

世界では人間の努力をマシンが超え、大規模リストラによる競争力増強と余計な人件費の削減が始まっています。

かつて首都圏から東北のJRが国鉄からJR東日本になった時、改革の口火となった209系(走ルンです)開発の水面下で、コストダウンのためのカードとして川崎重工に対し、「バーター(天下り)人事差し止め」というコストダウン案を出しています。

30年以上前から人件費は昔から経営者の悩みのタネでしたが、今や完全に従来のマンパワーは機械の下位互換になってしまったと言えます。

 

努力は苦行でやるものではなくなる

努力はワクワクに紐づけられなくては太刀打ちできないものになる

学校で褒められるための努力と結果を出すための努力は全然違います。

シゴキによってそれに対抗できる結果を人為的に作ろうと日本の教育界はスポーツの分野を中心にいろいろやってきたけど、それでも結果を出す為の努力をまっとうにして来た人以外はすべて埋没していきました。

手錠をかけ、牢にブチ込まない限り止めないほど麻薬的にとり憑かれている状態こそが努力の理想形です。

「バケモノじみて周りから引かれるほどの作業量を周りからドン引かれるほど楽しみながら積み上げ続ける」

インパクトはあるため量ばかりにも注目されがちですが、質的部分でもすごく大事です。

好きなことをするための方が生産量や進捗度の加速、合理化についてより真剣に取り組みますよね。

作業量が同じだけ積み上げられていたとしてもモチベの差は露骨に合理化や洗練度という分野で現れます。

無理強いされた努力が結果を出すための努力に敵うことは天地がひっくり返ってもありえないのです。
それでも美徳だからと下位互換的なやり方にしがみつくのはバカ以外の何物でもありません。

 

おわりに

目的なき努力は美徳。けどそのために死にたいほどのものですか?

「美徳の不幸」というサディズムという言葉の生みの親「マルキ・ド・サド」の著書の表題がこの日本でそのまんま現実になろうとしています。

美徳に呑まれたものから鬱になり、順を追って電車という名のギロチンの露となって消えていく様子はまさに美徳の不幸でしょう。

徳川の世も400年で終わったように一時代が永遠に続くわけがないのです。

結果を出すことにこだわった努力をしなければひもじいばかりの状態になって結婚もできないし子供を産むなんて無謀でしかなくなります。

結婚も身売りも封印された女性もまた男性と同じように純粋な人材価値を試されるシビアすぎる状態に突入することになるでしょう。

年金基金や健康保険の基金に優しくなる、という意味では命の大量投機はある種の合理化ともいえるでしょう。

「努力に対する捉え方、積み方を見直すことでしかぼくらが生きていく道はない」

といっても決して言い過ぎではないでしょう。
もう世界はそういう風に動いてるし国際社会での競争下に日本もいる以上それは避けられないのですから

すぽんさーどりんく


Comments

comments

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でtomo3000sfをフォローしよう!