サラリーマンになって・・・その先に何を描く?何が描ける?
サラリーマンの良さを耳タコで聞いても1mmも良さを理解できない系のサラリーマンブロガー・重オタクプロブロガーのとも提督です!
とりあえず3年を2年オーバーし、自分も腐った部分が出てきてるなーと感じる今日この頃。
現・経営者の掌の中だけでくすぶるか、己の道を限界まで極める生き方を選ぶかを問われている・・・ということを肌で感じている中で社会人1年目の方向けに「ぼくの仕事観」を書いてみました♪ 正解が設定された学生生活とは違い、定められた・誰かに用意された「正解」がどこにも存在しないのが社会人。 鵜呑みにするのではなく、あくまで参考として読んでいただけると嬉しいです。
ただの時間売りになってしまうのは少し勿体ない
寝てる4両を起こせ!
サラリーマンというのは、出した成果の分、報酬がもらえるようなシンプルな収入システムでお給料が決まっているのではありません。 従業員一同が会社と言う旗のもと一丸となり、スクラムを組んで成果をだし、社長や部長が純益の25%、株主さんが50%ほどを頂いた後で残りを従業員がほぼ平等な形で「差し出した時間に対して」の支払額が決まり、その後、社会保険や税金がそこから天引きされたものとして手取りとして手元にやってくるというものです。
個人の出した功について多少の反映はあっても何年たとうがそこまで大きく他の従業員と差がつくことはありません。
一言でいえば「共に(利潤を)産む」働き方。
寝てる4両という、起こせばその他大勢をブッチできるチカラなんて使わなくても、「ギリギリの生活をする」くらいはできるでしょう。(会社で仕事をこなすためにそんなもんぶっ放したところでロクに評価してもらえないし、評価されたところで生活が変わるわけでも無く無意味で虚しいだけ)
それでも・・・ぼくはこう、問いかけたくなるんですよ。
自分の持ち味を最大限発揮したって何も変わらない環境に長居してて楽しい? 楽しさを消費に求めたって苦しいだけじゃないか?と。
ライスワークですか?それともライフワークですか?
生涯をかけるに値する何かを世に出さないか?
食うために働くことを「ライスワーク」。寝食を忘れて没頭するような天職を「ライフワーク」と呼びます。
昔の人は言いました。食うために頑張るから人は力を発揮できる・・・ベストを尽くして素晴らしい仕事をするために必要なものだと。それがベストなんだと。
確かにそのパワーはすさまじいものがありますが、「ライフワークとして創った作品を収める人々には絶対に勝てない」という重要な要素が完全無視されています。
「この仕事のために寝食なんざ惜しめるか!!」と思って、「睡眠にすら自制心を要するほど」のリビドーをぶつけられた作品ほど高度なものは絶対に作れません
ライスワークで十分と思うのならそれはそれで結構なことですし、それはそれである意味ラクで幸せな道だと思います。
ぼくにはとても耐えられません。
最高の作品を世に出すために。
余計なものは全部ゴミ箱に捨てちゃえ~♪
余計と判断したモノは全てその場の判断で捨て去り、のめり込むのに最適な環境を自分で用意するのです。
そのために会社をクビになると言うのならぼくは喜んで切られましょう。 会社にとってもせっかくロートル同士が肩を寄せ合ってそこはかとなく平和を愉しんでいる中、そんな荒ぶった狼のような異分子がいること自体が害ですからね(^_^;)
会社が決断できないなら自分を懲戒解雇に追い込み、会社の恨みを買ってでも決断する。それほどの価値が己の道を究めることにはあるというのがぼくの考えです。
おわりに
教科書みても書いてないけど
生き方なんてサラリーマンやる事しか学校でも、大概の家庭でも教えられることはありません。
ただ、忘れないでほしい点はぼくらが学校や家で聞いてきた「社会人のなり方」というのは1980年代後半に自動改札機が生まれ、90年代からは殺人的な勢いで私鉄国鉄を問わず、全国の駅舎から切符のもぎり要員を駆逐していったことも知覚しないままサラリーマンであることを絶対的に安定した立場と軽く思い違いをしている人たちの言葉であると言う点です
仕事能力を発揮する職場を求めて転々とするのもアリですし(用済みになったら別れる方が後腐れもないし、「世間から見たいい師匠ではなく、自分にとってベストな師匠」と出会うなら気のすむまでそこに長居するのも悪くない)独立を決めて環境整備も自分でやっちゃうのもアリではないでしょうか。。

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