しょせんこの世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。
これは自然の絶対的な摂理です。
生まれも学歴も関係なく、「自分の頭で考えられるかどうか」。
そこにこそ人として生きる上での浮沈が決します。
この世はしょせん弱肉強食。
弱い肉になった人間の論理などに耳を貸さず勝つことを考えるなら彼らとの「違い」を意識するもの。
そのために必要な考え方とはどんなものなのでしょうね?
[outline] [su_box title=”あわせてよみたい” style=”soft” box_color=”#f5502b”] [/su_box]【弱肉強食】生まれが悪いんじゃない。自分が弱いのが悪いんだ。
誰も教えてくれないのなら自分で学べ。それができないなら大人しく糧になれ。
例えば、Am〇ayあたりに焚きつけられて、踊らされて大量の借金を抱えたり、労働マルチで不当な搾取にあったとしましょう。
そこで善悪の問題を持ちだせば、世間のみんなは「全面的にけしかけた人間が悪い」と口をそろえて言い放ち、同情してくれることでしょう。
同情のほかに何かもらえたり、何かを取り戻せたりしましたか?
という自問自答することなく、多くの人は「同情」で満足していい気になってその場をやり過ごした気になります。
そのため、多くの人々は再び同じ人種に焚きつけられ、再び同じ過ちを犯します。
【弱肉強食】生き残る人間は学習する
努力や反省ができないヤツはおとなしく誰かの糧になるしかないことを知っているから
まず、反省についての理解そのものが間違っている人は多いのではないだろうか?
反省というものは目の前で怒っている相手をなだめるための行動で、それ以上でもそれ以下でもないのだと。
反省なんてものは自分のためにする改善につなげるための検証なんですよ。
自分が悪いことをしようがいいことをしようが必要なPDCAの「C」なのです。
そのため、目の前にいる相手が怒ったままであろうが、改善案の組み立てに着手できていれば「反省はできている」し、怒った相手が矛を収めても改善案の作成にとりかかっていなければそれは反省したことになりません。
生き残る人間は本当の意味での反省をし、改善策を実現するために日夜努力をするのです。
改善以上の正義などこの世には存在しないのだから。
努力はただの必要経費だ。過度に求めたり褒めたりするものじゃない。
「努力そのものを礼賛」する世間の大部分の人にとっての「努力」と「目標達成のいち手段としてとらえている」ぼくが言う「努力」の性質は全く違う。
努力なんてものにはゴールが明確に示されていない限り無駄な苦行言外の意味を持ちません。
やみくもに重ねるだけじゃ何にもならないし何一つ報われることがないのは当たり前なんです。
努力を無駄にしたくないと思うのならば「~までに」「~がしたいから」「~のために」「~を」どの程度の量や時間を取ってやるのか?頻度は?と、仮説と計画を立ててやる必要があります。
「とりあえず努力してたら報われる」とか言ってるから「A〇wayに騙された~」みたいなことをほざかなくてはならなくなるのです。
そんな人はA〇wayやっても仕事やってもうだつが上がらないのでいま働いてる会社の社長の糧になるために人一倍会社で身を粉にして、サビ残もこなしながら働いた方が楽ですよ。
課題もお給料も全部会社が命令と一緒に用意してくれるし、会社の業績にコミットしないのもクソ上司の責任に出来るのだから、会社やクソ上司に文句を言う前に感謝するくらいでちょうどいいくらいです。
それが嫌なら頭を使うしかない。
ダイエットが失敗する理由と食われる側の人間に甘んじる理由は同じ
テレビとわがままボディ(idiot)の蜜月な関係 ダイエットの成功から体系の維持まで成功しているぼくの経験上、ダイエット…
例えば、ダイエットがことごとく失敗する理由は何でしょう?
テレビの言うがままにやっていたり、人の言うことを聞きまくってそのたびにやり方を短期間でコロコロと変えて自分の頭を使うことなしに振り回されていれば成功など夢のまた夢です。
テレビは「視聴者に思った通りの商品を買わせて扇動する」という目的をしっかり達成できてますかw
テレビにとって視聴者のダイエットの成功などどうでもいいことですし、むしろ失敗を重ね続けて言うがままに踊らされてくれた方が都合がいいんです。
必要なことは今の自分にとって何が必要でなのか?ということを真剣に考え、実行と検証と改善をひたむきにし続けることに尽きるのですよ。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] ある目的に向かって走り、学習して努力する。それが弱肉強食で勝つためのPDCAだ。
誰が何と言おうとPDCAなき努力はただの無駄だと学習しろ。
労力の量以上にベクトルは重要な意味を持つことを覚えておいて損はない。
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【弱肉強食】糧にすらならないヤツは存在する価値すらない
糧にすらならない弱者をゴミというのだ。
管をまいてゴタクばかり並べてる輩にできることなんてせいぜい他人の足を引っ張ることくらい。
腐ったみかんが害虫や悪臭などの元になるように役に立たないどころか害まで及ぼしているわけです。
糧にすらならないゴミはゴミ箱へ捨てる以上にふさわしい扱いはありませんね♡
【弱肉強食】糧として消費されるか、消費する側に回るかは自分で決められる
親や会社が強いるなら従わずに飛び出せばよい。 受け入れた奴が全部悪い。
まぁ、こんなこと言うと「それは犯罪者の論理だ!」と激高されそうです。
言うのも激高するのも勝手ですけど、その発言が自分をゴミにしているのだとわかった上で仰ってる方はそう多くはないでしょうね。
確かに誘導する人間や環境があるのも事実ですが、嫌だと本気で思えるならばどんな非情な手段を使ってでも「自分の意志を貫くための」行動に移せるものですよ。
その場で了承して裏では深謀遠慮の果てにしっかり「脱獄」をゴールに置き、何らかの計を実行するくらいはやるものです。
「裏切ることなく誠実に」なんて平和ボケした寝言ばっか抜かしているから弱肉強食の摂理でしっかり喰われる側のポジションに甘んじているということくらいは理解しましょうよ?
世の中食う側の存在と喰われる側の存在の2種類でしっかり分類できることくらい理解できるハズじゃないですか。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″]学校が学びの場として失望に値するなら不登校も一つの立派な戦術。
戦略を描き戦術行動を実行できないから負け犬になるしかなくなる。
常識や世間、親を言い訳にしても目の前の現実は変わることはない学習しよう。
人間ならば。
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おわりに
こんな血で血を洗う修羅共が蠢くこの現世(うつしよ)こそ地獄と呼ぶにふさわしくないか?
現実という名のゲームは、ほとんどの日本人にとってクソゲーだったり鬼畜ゲーだったりするわけですが、その要素を上手く楽しめば世界一面白い対戦ゲームになるはずです
何か一つの目標を目指し、攻略のために全知全能を惜しみなく使って全国の猛者と戦うことほど面白みのあるゲームもそうそう無いように思うのですがいかがでしょう?
自殺という形でリセットボタンを押すのも一つの考えですし、糧として綺麗に生きたいと決めているのならそれもまたいいでしょう。
自分も含めてみんなが気持ち良く遊べるよう「ゴミにならない」ようにだけは心がけましょう。
そんな無駄を犯しても誰も喜びませんからね。
ゴミになるというのなら自分でゴミ箱に入るくらいの潔さくらいは身につけていただきたい。
せっかくのゲームが目の前にあるなら楽しむのが人間ってものです。
激しく怒る日々を送る羽目になっても海外のゲーマーはFPSに夢中になります。
相手プレイヤーを狙撃するバトルロワイヤルの中に身を投じ、血で血を洗う戦場を求める修羅のごとくね。
ゲームの満足度は多分、現実とFPSは互角くらいじゃないでしょうか?
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