苦行に甘んじて批判ばっかしてる人間がオワコンな理由 │ 陰キャのモテ道オンステージ
苦行に甘んじて批判ばっかしてる人間がオワコンな理由

「労働や努力の量より結果」の時代をやる気MAXファイヤーにこだわって生き抜く

「あいつは苦しんでないからダメだ」

結果を出してる人間をこき下ろすのに苦行という材料を持ちだす日本人はとても多いです。

学校教育ではシステム上、苦行は評価材料として機能しているのですが、成果主義という市場の需要に応えていないため社会に出ればこの評価軸は意味も価値も失っています。

それでもなお、老害世代を中心に老害的価値観に染まった人々は「考えなしに苦行を礼賛する」のです。

楽しそうな他人をdisりたい=何かが病んでる

春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪。それで充分酒(メシ)は美味い

負の力を束にしてぶつければ人を吐血させる程には病ませることができます。

ただし、そのことによって得た満足感など、ちょっと仕事で苦しい思いをすれば簡単に消し飛ぶ程度のもの。

そんなものを四六時中追い回していればいたずらにすり減っていくのは道理です。

時間の浪費でしかなく、誰得でしかありません。

 

美味しいものを美味しいと言える生活、できていますか?ケチばっかつけてませんか?

苦行を強いるよりおいしい飯を食う方がはるかに為になります。

最近、美味しいごはん、ちゃんと食べてますか?お酒はおいしいですか?

病んでる時って、言動も荒んでるし何を食っても何を飲んでも虚しいばかりで、砂か何かを食ってるような気分になります。

ほら、愚痴大会的な負の想念が淀んで籠ったような飲み会で飲んでると酒の味が泥水のそれみたいに思えてしまうでしょう。

他人をdisって満足しようとすればするほどスッキリするどころかそうやってどんどん虚しさにまみれていくばかりになるのです。

 

嫌なことに「ただ」耐えるな。価値ないから

【若者の貧困】家賃4万の貧困と性産業【マンパワーの無価値化】

忍耐と苦行が尊かった時代はもう終わったんだ。

たばこ耐性をつけるため、わざわざ子供に受動喫煙をさせる親はまだまだ多いです。
ぼくもそれをされて育ちました。

実際は他人よりも遅れたスタートを切らせることしかできず、元あった才能を破壊しておしまいなんですよ。

確かに、誰かの手足になるだけで終わっておkなら考えること誇りも尊厳も必要ありません。

産業時代なら問題なかったでしょうが、その産業時代は2000年には死んでるんですよ。

これからはやる気MAXファイヤーが価値を作っていく時代。

血と汗がどれだけ流されようと、やる気MAXファイヤーで出力されたものでない限りそういう仕事に太刀打ちすることはまずできないでしょう。

 

マンパワー礼賛はオワコン

朝日新聞社って8割の利益は約750人が所属する「不動産事業」が生み出し、残りの二割の中に6000人が投入されてる新聞部門があるんです。

1000人以下の軍団が6000人以上の集団を相手にガキをあしらうような感じで無双してる状態なんです。

ところが、そんな実例がゴロゴロ転がってる2017年現在であってもマンパワー投入すればいいって考えの人はいまだに多い

足りない分は気合で補うとかお笑い種です。
本当に足りないのは脳みその中身とか考える力ですよ。

てーとく

収益性の高い事業を営むことにこだわり、無駄を省く、そして新しいことも試し続ける。

そのために最高の環境を構築し、やる気MAXファイヤーだけを束にしていく。

それができなければ何ガロン血と汗が流れたところでやってきたことすべてが無価値で無意味な駄作となり、淘汰されるのがオチなんです。

ピーチライナー(なくなった方が便利になった新交通システム)や仙台市営地下鉄東西線(市民の声:できる前の方が便利だった)みたいにね。

やる気MAXファイヤーじゃなきゃ、ダメなんです・・・!!

 

苦しい思いは必ず打開して知識にせな

苦行が価値を持った時代はとうの昔に終わっている。

そんでもって血と汗と人数だけいれば何とかなる時代はもうとっくの昔に終わっているのです。

ということは、努力礼賛な人たちの価値観そのものが存在価値を失ったことになります。

もっとも、市場はとっくにそういう現状を言葉ではなく数字で訴えてきてるんですけどね。

「苦しい思いや苦労は買ってでもせよ!」みたいな歪んだ価値観にもはや意味などないのです。

苦労に甘んじることに知恵は必要ありません。
苦行に甘んじる=考える必要なくただ「あー・・・」「しんどい・・・」「だるい・・・」っていってればそれでいい状態。

それが苦行信仰の正体です。

↑こんな風にね。

工夫も改善もせず毎日こんな風につぶやいて終わりな営みのどこに何の価値がありましょう?

 

苦行そのものを価値だと思ってるバカはオワコン

今は改善を行い、その成果をまとめて世に発信するまでしなければそれは価値になりません。

もし、酒席で「俺はこんな苦労した」っていうくっだらねぇ武勇伝を語ってる人は唇をソーイングセットで縫い付けてでもすぐに中止することを強く推奨します。

ただでさえ下がってる人材価値(コスト↑・能力↓)に加え、プライベートな評価まで下げることになりますから。

いい男がいい仕事をする似は余裕が必要

苦行ばかり強いるブラック体質は頭のてっぺんから爪の先までオワコン

余裕がない状態ややる気のない状態でずっと無理をしてると必ず何らかの悪影響は出るものです。

例えば休みなく残業してるとだんだん作業効率が悪くなったりするじゃないですか?

無理な残業も、事業自体が収益性悪いのに打ち止めせずに「無理」に生きながらえさせようとしてるために起こる「ムダ」なんです。

しっかり休んでしっかり働く。

何をやるにしたって基本なのに「お前は体調管理すら出来ん無能だ!」って言うだけで具体的な改善をしないブラック企業は本当に存在がオワコンです。

管理職の能力以前に会社そのものに管理能力がなければいくら従業員があがいても焼け石に水ですし、管理職の存在意義が1から100までなくなります。

事業単位でそんな無理がはびこるならその事業の存在意義そのものがないに等しいのです。

 

いい仕事に苦行はいらない

いい男がいい仕事をするためには作業的労働でスケジュールを埋めつくすのではなく、むしろどんどん自由時間を増やす必要があえります。

柔軟性が損なわれた状態で仕事をすれば実験も熱意もダイレクトに仕事へ反映させられませんからね。

体調を整える暇もないほどスケジュールを詰め込んで仕事を苦行に変えるような真似をするのはアホのすることです。

会心の閃きなんてのは事務所に缶詰めにされてできるものじゃないのですから。

 

おわりに

苦行と労働量基準で評価を下す意味がなくなった時代

苦行というのは自分自身をいじめ抜くことそのもので完結した行いです。

その先に悟りを求める仏道修行なわけですが、それを「改善してしまっては」苦行ではなくなってしまいます。

21世紀に生きているというのに大多数の日本人はいまだ改善や改善策、知恵よりも「苦行」を礼賛しています。

苦行の目的ですら本来は「改善や改善策、知恵」を追求するためにあるはずなのに。

これから価値を産んでいくのは流した血と汗ではなく、どれだけ価値ある知恵を生み出し、世に発信したかで決まってくるでしょう。

てーとく

量ではなく質の時代なのです。

量は質を高めるための経験値稼ぎと俺SUGEEEEEEEEとかあいつSUGEEEEEEEEEEする意外は特に意味はありません。

すぽんさーどりんく


Comments

comments

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でtomo3000sfをフォローしよう!