食事の場に不機嫌を持ち込む=料理の上に泥水をブチ撒ける所業だ。万死に値する!
バリピでもなく喪男でもなく、会いたくて震えるでもなくコミュ障でもないリア充オタク重オタクブロガーのとも提督です!
ぼくはオタクでもありますが料理男子でもあります。
作った料理をおいしいって誰かに言ってもらうことはとても嬉しいですし、まずいと言われるとサイコパスなぼくでも人並みには凹みます。
そして、一時期だけなんですが、「当たり前を失った」経験もあります。
それだけに、日常の「あたりまえ」を潰すような蛮行をぼくはひと一倍許せません。
その具体例を一つ、紹介しましょう。
[su_box title=”もくじ” style=”glass” box_color=”#000080″] [/su_box] [su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]食いモンを粗末にするなとガキのころに習わなかったのか?
食べ物にも命があった。そして命をつなぐバトンそのものだ。
ぼくたちは何のために料理を作り、振る舞い、食べるのでしょう?
命をつなぐためですよね?
パートナーとつながることも、食べることも、そしてあったかいおふとんで熟睡することもすべて本来、幸せに満ちているべき時間です。
「三大欲求に根差した行為=命をつなげる=幸福」であるようぼくらの遺伝子にはデフォルトでセットされています。
ぼくは思うわけです。
弱肉強食のような自然の摂理に逆らう行いは万死に値すると。
1/100 ガンダムヴァーチェ ~ガンダム00(ダブルオー)シリーズ~ (機動戦士ガンダム00)
テーブルマナーというのは食事を全力を挙げて美味しく食べるための作法である点、非常に自然の摂理に適ったものです。
IN ACTION!! OFF SHOOT サザーランド (純血派機)
ごちそうを用意してくれる人への感謝。
気持ちよく快適にものを食べる工夫。
一緒に食べる人の幸せを守るための優しさ。
という要素が詰まっています。
それを汚すような振る舞いは「一般常識としてのテーブルマナーとされる動作」の内外を問わず排除されてしかるべきです。
暴言・批判・誹謗中傷・叱責・暴力・陰口・度が過ぎた猥談・不幸自慢・不健康自慢・独りよがりの武勇伝・・・etc
これらを持ち込む場合は「便所にでも行って一人で食ってろ」とぼくは声を大にして言いましょう。
自分の料理のみならず、他人の食べ物にまで泥水をぶっかけるような蛮行なのですから。
メシが美味い!トイレに紙がある!耳が聞こえる!
そんな当たり前を犠牲にするほどの問題がそうそうあってたまるか。
ありふれた”当たり前”ほど尊いものは無いのだと僕も気づかされました!
— おのたく/Takumi Onodera (@Derra_86) 2017年8月2日
おのたく(@Derra_86)さんとTwitterでやりとりしてた時、心の底から思いました。
読んで頂きありがとうございます!
当たり前の幸せ、できる限り壊したくないし壊されたくないですね。激しく同意です(>_<)
— とも提督@重オタクブロガー (@tomo3000sf) 2017年8月2日
ぼくもかつて聴覚機能の一部が損傷し、機能不全を起こした時があり、心底後悔したものです。
今、以前とほぼ変わらない状態まで回復していて本当によかったと実感しています。
親にも上にも、その話をしてみたら「仕事のために健康を損なうのは当たり前。凡才ならね。みんなそうだった」と冷淡でした。
世間一般から見ればぼくの主張は過度で大げさなものかもしれません。
戦略より重要度が高い世間体など存在しない。
不登校や偏差値など、戦術の積み重ね方で出た数字の差でしかない。
大事なのは結果と戦略だ。 https://t.co/WBbnyF1Xzs
— とも提督@重オタクブロガー (@tomo3000sf) 2017年8月2日
が、世間からおかしいと言われ、罵られようとぼくは「料理をおいしく食べる」ことを優先します。
心神喪失や怒髪天を衝く、ATフィールド出力最大みたいな心持ちで食う飯はどれだけ出汁が存在を主張しようと、肉の食感が存在を主張しようと、砂のような無味無臭の固形物を食べているようにしか感じられません。
そしてこの世では会社にいたり、実家にいればそんなことがあるのは当たり前ときます。
テーブルマナーが硬直・形骸化し、柔軟さが失せているのも納得がいきます。
のどが渇けばのどを潤す水があり、トイレットペーパーも「職員の怠慢があれば絶対入手不能の状況にたたきこまれる」ような絶望もなく、美味い飯を素直に美味いといえる。感じられる。
これらは当たり前のようにあるものですが、何かをきっかけにふと失われてしまうような脆さもあるので実のところ「在り難い」ものなんです。
世間から見れば「ちょっとした」職務上の無茶振りなんかでいとも簡単に消し飛ぶ可能性がありますね。
怒るのは食前60分前・食後15分後以降にしろ
不機嫌になってはいけないとまでは言わないがTPOくらい弁えろ
食事を美味しくとるためのちょっとした気遣いは他人の為だけでなく、自分のためにもなるものです。
自分のメシにも泥水がかかるのを防ぐことができるのですから。
どうしても時間の都合で厳しい場合は積極的に離席してぼっちメシする自由があってもいいくらいです。
泥水がかかるメシを食わされる人間が一人でも減る。それこそが絶対的な正義です。
食べ方が汚い(※ただしおにゃのこ・男の娘に限る)、箸が正しく持てないなどはぼく自身が特殊変態性の塊のようなものなので特に気にはしませんが、不快な話題の持ち込みだけはやめて頂きたいですね。
おわりに
日常が奪われることを普通と思うな。
と、ぼくは心底思っています。
日常が奪われることが当たり前と思うから他人のメシに泥水を浴びせるような振る舞いが出来るし、人間を使い捨ての駒みたいに使えるんですよ。
他人からしてみればほんの些細なことかもしれませんが、日常を奪われた経験というのはとても心細いものです。
過剰反応の一つや二つはします。
そしてこれだけは言えます。
世間体や会社のために犠牲を払うことを当然としてきた人ほど死ぬ間際に「心身の健康」について絶対に後悔することになる、と。
[su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]