理不尽に耐えることを「厳しさ」として崇めることに何の意味があるんだ?
バリピでもなく喪男でもなく、会いたくて震えるでもなくコミュ障でもないリア充オタク重オタクブロガーのとも提督です!
長きにわたってぼくら人類は自分の仕事か相手の仕事かどちらが厳しいかについて不毛かつ大いなる議論を繰り広げてきました。
この議論に一応の答えを用意してみましたのでどうぞご査収くださいませ。
[su_box title=”もくじ” style=”glass” box_color=”#000080″] [/su_box] [su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]【ムダでしかない】いじめと理不尽に耐えると言う意味
暇人に足を引っ張られるのがデフォ
ぼくは暇なことはいいことだと思っています。
持て余すことを悪いとは思いません。
他人の足さえ引っ張らなければ。
日本企業で言う「厳しさ」とは足を引っ張られることへの苦痛に耐えると言う意味でもっぱら使われています。
飲み会とゴルハラという手で取引先と所属組織が。
罵詈雑言や理不尽なオーダーという形でクソ上司や補欠の先輩たちが。
足を引っ張ります。
自分のことを棚に上げながら
足を引っ張ることを仕事と誤認しながら
自らの腕を磨くのを怠りながら。
業績を犠牲にしてでも。
足を引っ張ります。
これを「社会の厳しさ」とか言って。
内ゲバさえ引き起こして。
最悪、無駄の為だけに命を奪うことすらあります。
【本当の厳しさ】数字として出る。ライバルとのガチバトルを強いられる
ブロガーの場合:検索1位は常に狙われている。
常にトップやその周辺にいるためには常にトップを目指す気で事に当たらなくてはなりません。
稼ぎ頭の記事の検索ワードの動向をぼくらブロガーは常に気にします。
新規記事・リライト。あらゆる手を尽くします。
GoogleだけでなくSNSにも気配り目配り。
なぜそうまでするのか?
自分の今の地位を脅かす存在があることを常に知覚すると同時に自身もまた開拓や侵攻を考える存在だからです。
敗れるということを数字ではっきり見るっていう世界に生きてますから。
プロスポーツ選手と近い感覚かもしれませんね。
彼らもまた、怠慢を働けば自分より実力をつけたライバルと次の試合の場で鉢合わせるってことを自覚しながら毎日を過ごしていると思いますよ。
現在の地位に胡坐をかくことを許されないと言う意味でブロガーやプロスポーツ選手など、個人を売ってる世界は厳しいのです。
楽しくやっていいのがプロ。無駄に塗れてもいいのがリーマン
それぞれの「甘い」面
厳しさの質も違えば甘さの質も違います。
プロはプロセスの面のがんばりは全く評価されない代わりに楽しくやろうが苦悩しようが出来たものが最高なら劇賞されるものです。
サラリーマンの場合は苦悶に顔をゆがめて夜遅くまで残業するなどの消耗的プロセスさえ踏めば作品の出来は二の次にしてもらえるところです。
おわりに
甘いか甘くないかなんて激しくどうでもいいのにみんなそんなこと気にするのってなんでだろう?
定型句は「~なお前は甘い。オレは××だから厳しい。格が違うんだよ」
マウンティングと甘え、被害者意識の誇示で甘い汁をすするためにこの一言は放たれる。
要するにセコい奴の台詞なんです。
人を落として自分を上げて、その上ちやほやして貰おうなんて意地汚い限りですよ。
そんなお願いしないと満足に誉めてももらえない程度の香具師とか雑魚過ぎて片腹痛いですね。
サラリーマンでもフリーランスでもプロでもこれ言う香具師はダメな最低野郎です。
大事なことはただ一つ。
やったことが数字になったかどうか。
厳しいだの甘いだの話してるうちはいくつになっても蒙古斑ついたまんまのガキ同然なんです。
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