こどもは殴ったり怒鳴れば直ると言う間違った認識こそ修正されるべき
もちろん、「こんな大人、修正してやる!(ボグシャァ!)」で簡単に大人だって修正できません。
「これが若さか」とひとこと返したクワトロ大尉の修正が完了するのに24話ほどかかっていますからね。
子供相手であってもそれは変わらないハズなんですがそこを見誤って強引にショートカットを決めようとする大人は多い。
そんな大人たちが中学生をむげにむざむざ死なせるのです。
それは何故か?という切り口でお話をしていきましょう。
- ウマいものでも食べればええやん。余裕がない人でも名店の味が調達ラクラク♪
- 自分の体ばっかり働かせてるから余裕を犠牲にしなくてはならないのだ。(稼ぐ機械を作ろう)
- 子育てに放置を必須とする「考えない葦」って何なの?
中学生:大人は汚い。先生も親もわかってくれない
この言い分は結構的を射ている。ただの屁理屈と断ずるのはあまりに雑な対応だ。
「大人は汚い」「先生も親もわかってくれない」と言う理由で思春期の子供というのは反発し、時に命すら投げ出してしまいます。
社畜社会日本でこの意見は至極まっとうな指摘ですね。
こどもが歪まないわけがありません。
創作で描かれる歪んだ親たち
カミーユ・ビダンはガノタなぼくらに向けてこのことを明確に教えてくれます。
父親の愛人は著名人の性+本人がクズだっただけの話ですが、母親も父親も共通していたのは「自分のこと以外は見えてない」という点です。
GTOの序盤でも似たような場面がありましたね。
アムロの父親テム・レイ技術大尉もまたアムロのことも含め、V作戦以外はアウトオブ眼中でしたし。
先生も同様に
教師だって、サラリーマン教師してないとメンタルもちません。
薄給で重労働な上、クレーム対応の為に東京に住んでいなくても苦情電話の応対に当たるなどで過大な長時間労働に喘ぎがちです。
教え子に自分のナマを見せれば彼らの親が聞かなかった分の親の仕事まで押しつけられ、廃人になってしまうことが本能的にわかっているかのようにも見えますね。
大人たちに見えているのは目の前の仕事だったり、愛人との関係だったりで、視界に子供とパートナーの姿はまるで映っていないのです。
そのうえ、みんな「誰の声にも耳を傾けません」
こどもの話どころか大人の話も聞けない大人たち
自分の話は2時間も3時間もする癖に、人の話は無遠慮に遮る
交渉の下手な人間の典型例としてD・カーネギーの「人を動かす 文庫版」に紹介されています。
地上げをするために恫喝したり督促状を出したりしても立ち退かない住民の説得というシーンです。
他にも、高名な禅僧である良寛という人物の伝記も人の話を聞く大切さが説かれています。
放蕩ばかりを繰り返し、両親に反発ばかりする甥を「ただ話を聞いただけ」で改心させたと言うお話です。
どちらも同じ理屈で問題が解決されています。
こどもを修正するのは拳や恫喝という「放置」ではない。聞く耳だ。
親による躾というのはどうしても立場でものを言うために高圧的かつ感情に任せがちです。
みんな同じようにやってるからエラーがあってもみんなで無視してしまう事態にもなりがちです。
赤信号をみんなで渡るような愚を犯すようなものです。
プログラミングだってそうですが、エラーが見つかったとしても根本原因をちゃんと取り去らない限り怒鳴ってもエラーは修正できませんよね?
まして、パソコンやスマホ本体を殴ってどうにかなる問題でもありません。(ハードの問題ではないから)
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”tm.jpg” name=”てーとく”]正常に稼働してるモノを殴れば歪むしかないと考えれば逆効果でしかない[/speech_bubble]人を修正しようと思うなら面倒でもきちんとエラーに対して律儀かつ丁寧にサーチアンドデストロイを行いましょう。
古いテレビと同じようにナナメ45度の角度で空手チョップを入れればいいというものじゃないのです(笑)
箱型テレビの時代から進化しない大人の理解力
地デジ化に人間が追いついていない劣等人種だらけ
鉄道自殺をする人たちもそうですが、考える力を殺されているため何をするにも見積もりの甘さが祟って色んな「こんなはずじゃ」事例を起こしています。
京都市営地下鉄東西線も4000億円くらいで出来るハズだったがふたを開ければ6500億円くらいかかってます。
名古屋のあおなみ線も6.6万人の利用見込みがあったのがふたを開ければ2.6万人だったり(鉄道にはそんな事例が山のようにある)
子供のしつけも箱型テレビを(一時的に)直す時と同じでななめ45度から空手チョップを入れておけばいいと言わんばかりの雑な対応で済ませようとします。
こどもに関しては「怒鳴っておけば修正する」というような雑な理解まで加わっています。
小型テレビも子供も叩くのはよくない
今ドキのIT機器も叩いて直ることはあります。
その理由は接触不良や動作を妨げているほこりなどが衝撃によって移動する為。
ただし、家電メーカーのサービスマンはこの方法はとてもオススメできるものではないと言います。
「衝撃が別の部分に負荷をかけ、破壊してしまうことがあるから」
至極まっとうな理由です。
人間の場合も同様で、怒鳴りつければ怒鳴られるのを嫌って行動を修正することはあっても脳細胞の破壊という副作用がついてまわりますからね。
拳による修正などそれに加えて怪我さえ招きます。
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”tm.jpg” name=”てーとく”]ぼ・・・暴力はいけない(昇天)[/speech_bubble]機械の場合は壊れるだけで済みますが、人間の恨みを買った後は尊属殺をも辞さないほどの強硬手段に訴えられることもあります。
加害側にとっては被害者による自殺はまだマシな結果であるともとれそうですが。
苦しい未来しか見れないのは辛い
面倒ばかりさせられた上に理不尽まで食らえば死にたくもなる
親の姿を見てると本当に思うでしょう。
長時間労働で疲れ果ててるのに薄給な上、いろんな無駄を背負っていると。
ニュースを見ても思うでしょう。
大企業に入れてもパワハラで自殺に追い込まれる人が少なくないのだと。
自分の未来図が貧相なものしか描けないのかと絶望もすれば損得勘定だってしてしまうのが人情です。
トータルで考えると「60年以上辛いだけの日々が続くなら中学生のうちに死んでおいた方が結果的にはお得なのかな?」と思う人が出ても何ら不思議ではありません。
世界レベルでは生きることを面倒に思う必要がなくても、日本では面倒どころか命は面倒事の嵐によってすり潰されて当たり前なんですよね。
理不尽が放置され過ぎて、八つ当たりしなきゃやってられなくなるのがデフォで、そのために死ぬ人間がいるのも当然な社会にどんな希望を持てというのでしょう。
どこかの代で誰かが修正を加える必要があります。
国家単位では難しく手も、家単位なら自分の力と工夫で何とかなるはずです。
多くの量産型を出し抜き、量産型とは違う生き方をするのは非難されることがあっても決して間違いではありません。
少なくともぼくは、軌道修正を加えるためにぼくは生きているのだと自負しているつもりです。
おわりに
面倒でも話を最後まで聞け。殴って解決できると思うな。
近年は女性も話を聞かない気もしないでもない。(嫌な男女平等だな、オイ。)
男が聞く耳を持つという形で男女平等にならないのは残念な限りです。
当たり前の話ですがこどもは理路整然と悩みを陳情書にして持ってきてくれるような存在ではありません。
長々と聞くのが面倒だったり時間をとれない場合はちゃんと「140文字にまとめろ」くらいはそのつど言ってあげましょう。
聞く側も音声情報だけじゃ不案内ですからね。
また、殴る・怒鳴るに万能を感じているなら今すぐ直した方がいいですね。
直せば電気機器の損耗を減らせるし、一度のしっかり対処で長くトラブルと無縁でいられると考えれば子供への対応もついでに修正すれば十分旨みのある話じゃないですか。
こどもが死にたいと思うほど歪む程度の材料が揃っていると言うこと。
フォースの力が働くにしたってフォースという歪みの原因があるわけで。
何も原因が無いのに子供が勝手に歪んだ、なんて言い分はめちゃくちゃだと言うことくらいは覚えておきましょう。
相手が大人であってもね(笑)
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