安息の無い家庭が犯罪にとって一番居心地のいい温床だ
常軌を逸したマッドな犯罪者はアニメから来るものではありません。
過度な不安、絶望、安らぎの無さによる断続的な攻撃が自殺や凶悪犯罪を引き起こすのです。
単純なモラルの問題なら規制や綱紀粛正でどうにかなるものですけど、座間9遺体のような事件は「そういうものではない」んです。
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量産型人形しかいない世界は孤独と変わらない
量産型(親)は量産型(子)を作る設備の一部だ。
日本で親に求められる役割といえば子供を「量産型」という工業製品に加工すること。
親というのは子供が量産型としての価値を上げれば上げるほど賞賛や羨望の的になる世界に生きています。
「言うことを聞かないじゃじゃ馬=粗悪品、言うことを聞く奴隷=優良品」みたいな扱いで子どもは語られますからね。
誰だって所属する社会の中で発言権を持ったり誰かを従えて優越感に浸りたいと思うものですから、子供を精神崩壊させてでも「いい子」に仕立て上げようとするのは自然なことです。
理解者不在の家庭はある意味「予定調和」の中で大量出現します。
世界レベルで急速進行する砂漠化のように。
シリアルキラーは親の求める子供像の最終進化形態
「強化し過ぎたか・・・」と言えばすごくコミカルに聞こえる分、残酷さもひとしお
親は子供が健やかに育ってほしいと願うものですが、それ以上に「他人を屈服させたい」という欲望が勝つものです。
子供とて、と言うよりむしろ子供であるからこそ「屈服させたい他人の筆頭に上ってしまう」のでしょう。
自分が会社の上司にやってるように「子供は創造者(という名の上位者)たる自分に対して跪くべきなのだ」という思いに親が支配されたとて不思議な話ではありません。
シリアルキラーは自分を殺し、抜け殻になる過程なしになることはまずありえない。
もし、抜け殻になった子供が親の欲望を忠実に聞き叶えてくれる装置になってくれれば親として最高の気分を味わえることでしょう。
もっとも、その満足が続くのも「殺された子供自身の精神(こころ)」の怨念が抜け殻の中に悪魔を召喚するまでのひと時だけなんですがね。
それがわかろうとすらしない親は加工の手を緩めず、精神崩壊をも辞さないほどの強力な「調整」や「修正」を容赦なく加え続けます。
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毒親という小悪党が過度な修正を施してシリアルキラーという悪魔をこの世に降臨させる、というのは常識的な家庭ほど起こってもおかしくない話だったりする
毒親に加工されて歪むことは命を捨てるより辛いことだ。
でなければ、「死にたくない」をゆがめてまで死ぬ方向に走る理由がない
実家リスクは時間・健康・投資の面ですこぶる不利益を被るものです。
実家を出るのは早ければ早い方がいいとぼくが主張する理由はそこにあります。
また、毒親の「加工」は世代を重ねるごとに凄惨を極めているともいえましょう。
何せわずか14、15歳の子供が心を絶望に染めて線路へほっぴんジャンプをキメちゃう時代になったのですから。
愛情への飢えと乾きは砂漠の遭難者並
親にもらえなかった潤いを満たしてくれる異性は簡単に親より上位の存在になる
エルピー・プルがグレミーのもとからジュドーのもとへ寝返ったような感じですね。
日本の親の多くは愛情を届ける事なんか忘れて子供を屈服させることばかりに囚われているようにも見えます。
グレミーがリィナにテーブルマナーやピアノのおけいこを押し付けるみたいに。
親はこのように支配欲を愛情とすり替えることすらやらかします。
それを我慢したりやり過ごす中、「これは親なりの愛情表現なんだ」と自分をだますことで子供は必死に精神崩壊の危機を凌いでいるものです。
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1打ったら3抱きしめるくらいでいい。人間を工業製品と思わないのならば。子供をシリアルキラーにしたくないならば。
「表面的にすら」家族も先生もわかってくれることがない日常
事実、「自分をわかってくれるだけで安心が得られる」と思ってる人は老若男女関係なく掃いて捨てるほどいます。
日本全体が愛情飢餓・愛情砂漠とも言える状態ですし、不思議な話ではありません。
自分のエゴの押し付け合いしかできない人だらけになるのも無理はありません。
身近に義務的に保護してくれる人がいようと、自分のことを理解しない人間に囲まれている状態と言うのは孤独と何ら変わりません。
安心の無い家の方を何とかしろよ。
ネットの知り合いに会う理由は「家の中が自分を傷つけるモノだらけ」だから
おじさん世代が解らないのも無理はありません。
家の中は安全だと思い込み、強引な方法に訴えてでも刷りこんで恩を押し売りしながら子供の人格に攻撃を加えているわけですから。
スズメの涙ほどの愛情を載せて支配欲を押し付けてくる親のいる場所に安息の文字はありません。
学校で「ネット出会いは危ないぞー」って指導を受けようとも焼け石に水なんです。
座間の事件みたいな悲劇を繰り返さないために必要なことは家庭を名実ともに構成員にとっての安住の地にすることです。
安心と充足を保証された場所の獲得こそ、猟奇殺人の被害者も加害者も生み出しにくくする一番の特効薬なんです。
おわりに
「自殺したい」を消去法で選び、言わないと収まらないと思えるほど社会は病んでいる
ぼくもかつてはそうでしたから。
本音は誰だって本当は幸せに生きたいし、生きてるっていう実感と充足感も欲しい。
恋人が横にいて、結婚して、一国一城の主になって健やかに働いて畳の上で大往生を決めたいとは思うけど、絶望に支配されれば不可能と悟ってしまうもの。
「これっぽっちのベスト」を望むことすら許されないばかりか惨めな思いを40年も耐えた末にまだ生き地獄が続くと思えば誰だって終わりが欲しくなるものです。
規制や指導を厳にし、厳罰化を施したとてまた同様の事件は必ず再発します。
規制なんてのは根本解決ではなく、気休めでしかありませんからね。
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