一般社会が好きそうなものは全てオワコンへの特急券
根性礼賛、合理性の軽視、人情主義、努力礼賛など老害が好きそうなものであふれかえっている一般社会は不条理に塗れています。
警察の優秀さゆえか今までがうまいこといき過ぎてただけなのか定かではないですが、この状況下でのシリアルキラーの少なさは奇跡とも言えますね。
ただ、これからはそうもいかないでしょう。
オワコン化が加速する古い人間と非常識新人類の間で大きな摩擦が起きる時代の転換期なのですからね。
「変わることを受け入れなければ死ぬ」「既存の美徳や常識にしがみつくことは死を意味する」と言うのがぼくの持論ですから。
[outline] [su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]変わらないことがいいことだと思ってる人はオワコン
変わることについてこれなければあっという間にオワコンになる
変わらないことを良しとして頑迷になるということは時代の流れに取り残されると言うことそのものです。
何もそれは流行を無闇に追い求めろと言うわけではありません。
例えば、「今の環境でWindows95の入った20年前の機体を動かして今と変わらないクオリティの仕事をしろ」
って言われたとしたらそんなのムリゲーだと誰もが思いますよね?
価値観も同じで、古い価値観がWin95みたいに機能不全を起こしているなら改修するか新しいのに刷新した方が合理的なんですよ。
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”tm.jpg” name=てーとく””]この例えだと合理的とか以前にむしろ必要に迫られているレベルなんだが。 [/speech_bubble] なのにそれを拒むようなオワコン人間がこの日本には腐るほどいるわけです。彼らに合わせるということは自分も一緒に時代の波に呑まれて命を失うことになります。
理解できない存在を無理に理解しようとする人はオワコン
まぁ、そうなるな・・・(^◇^;)
電話嫌いと電話好きが無理してわかりあう必要などないのだ(真顔)https://t.co/WIArH41jvR https://t.co/cZWrgIqfPO
— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2017年11月22日
構わなくていいムダのために消耗するとかw
相互理解そのものを無価値とまでは言うつもりないのですが、理解できない物を「無理に」と言うことは問題です。
無駄大杉ワロタwwwです。
無理とは道理も理屈もへったくれもないと言うこと。
相互理解のための手段だって強引だったり道理が無いやり方になりがちです。
それに、無理が長く続くわけないのです。
そうまでして理解を必要とするならそれに見合う旨みを短い期間で引き出せる価値が無くてはいけません。
日本人にとっての相互理解なんて8割は価値観の押しつけでしかない
親子関係も他人同士も同様にデリケート。雑に扱っていい特例は存在しない。 バリピでもなく喪男でもなく、会いたくて震えるでも…
日本人は論戦で論破し、屈服させ、自論を押しつけるように認めさせることを相互理解だと認識している方が多い。
多くの家庭において子供に接する親の姿勢がまさにこの形式をとっていますからね。
リアルな話、スーパーマーケットで親子連れを観察してみれば9割がたはそうなのだと理解することになりますよ。
そんなわけで学校や地元の友達、家族相手に無駄にいがみあう必要が出ることが珍しくないのも道理なんです。
そもそも、いがみ合った人間同士が呉越同舟し、肩を組んで酒を飲みかわす仲になる、なんてのはただのロマンです。
おとぎ話の美談を無理に実現させるより、もっと現実的かつスマートに人間関係を構築するほうが実のある人生を作れるに決まっているのです。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″]- 押しつけを必要とする人間相手にリソースを無駄遣いするな。 人間関係でも無駄を避ける以上の正義はない。
オワコンにならないための最良の人間関係づくり
誰にでも優しくするのは嫌わないで系クラスタか単にお金やワンナイトが欲しいだけかのどっちか。
嫌われるということは、人間関係から無駄を削れるということなので嫌われることをネガティヴに思う必要はないゾ☆ https://t.co/M3XlRUYtM2
— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2017年7月6日
価値観の合う人間とだけ価値観の合う間だけ付き合う
これ以上に合理的なことはありません。
わが子相手ならなおさらで、親である自分が極めてスマートに接するのがよろしいでしょう。
同居人を100%まで理解する必要なんてないし、自分と同じ価値観を強いることで得られる利などスズメの涙ほどもありません。
3割理解すれば十分です。
違うものを違うものとしてあるがままに存在を認め、利害でつながればそれで充分なのです。
不必要に執拗な攻撃は無駄以外の何物でもありません。
戦国期の戦後処理みたいに「占領後の敵地における治安維持を目的として敵君主の一族郎党を粛清する」といったことでもない限り。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 屈服や恭順はパートナーシップの絶対条件ではない。あるがままを認め、変化を認め、利害を素に共存共栄をその上で実現すればいい。
[/su_box]
「過度に優しい」人が絶望に染まりきるとシリアルキラーになる
「自分と同じ苦しみを味わう前に・・・」は悲劇のスイッチ
過度の教育やしつけにより、抜け殻になった人間の中に悪魔が降臨するとシリアルキラーになるということを過去にお話ししました。
抜け殻の中にあった優しさすらシリアルキラーはとんでもない理屈で飛んでもない方向に向きながら行使してします。
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”殺人鬼”]ボクと同じような悲劇にあわないよう、小さいうちから消してあげなきゃ・・・悲劇の芽を摘んでおかなきゃ・・・[/speech_bubble] ってつぶやきながら大義名分を作り上げ、血に飢えた魑魅魍魎のごとく凶行に走りだすのです。
今はまだ親の意向で社畜をやってるんだが、痛いほどよくわかる
サイコキラー・シリアルキラーと言う人でなしを分析する 人体を損壊することに対しては人ってすごく敏感に反応しますが、対象が…
「無駄に」優しくない人間でよかった、合理主義者で良かったと心底思いましたね。
加えて、ブログをやってて本当によかったと思います。
社畜やってると本当に「何のためにこの命があるのだろう」なんてヤバい考えが頭の中を駆け抜ける事なんて日常茶飯ですからね。
[su_box title=”社畜の不条理(体感)” style=”glass” box_color=”#000080″]- 朝起きる時間に自由が無く、毎朝無理な早起きやバタバタすることを強いられる
- ストレスが朝に急速チャージ
- 寝つきの悪さや眠りの浅さに悩むレベルになるとその悪循環が酷くなる
- 繁忙期になると物忘れがひどくなり、用事を2~3ほど6時間ペースでほど忘れ、時間不足でやむなく放置。
- 脳の機能が低下、タスク(用事)の処理落ちを拾い切れなくなる
- 酷い場合、日常生活に支障が出るレベルまで処理落ちがマッハに貯まっていく
- 処理落ちの山がバイオリズムを崩し始める(冬季は特に崩れやすい)
- 食材管理のルーティンが崩壊し、スーパーの弁当やコンビニ食が食卓に並びだす
- スヌーズを不健康と理解しながらやむなく投入
- 脂肪便やケガの治りの遅さなど栄養状態の悪化をモロに体感
- 年収300万円以下をこの条件で飲むことを・・・強いられているんだッ!!!
これだけ不条理抱えて割食ってれば誰だって絶望に染まりもしますよね?
ぼくはまだ、仕事でも処理落ちを2~3吐き出しつつも定時で帰れてる(ただし繁忙期は休日出勤と早朝出勤の嵐)うえ、徒歩通勤してるのでまだマシです。
「満員電車」に乗ってるかとか「月給18万でもがんばってる」みたいにもっと厳しいかそうでないかは些細な問題でしかありません。
この程度でも人が絶望の尻尾を見るくらいの条件が十分そろっていることが問題なのです。
「俺の方がきついのだからお前はもっと我慢しろよ」ではなく「よぉ、俺と一緒にこんな地獄抜け出そうぜ」の方が健全なアタマしてますね。
例えヘアースタイルがボンバ様(干物妹うまるちゃん)みたいなアフロでもね。
おわりに
個人的雑感:柔軟を重視する人間は剛直な日本企業に向いてない
自分というものを意識ごとを捨てて抜け殻になればよかったかと思うことはこれまで何度もありました。
試しに一般社会への不適合を理由に死んでみようって思ったこともありましたし、その後も何度か思うことはありました。
フレックスタイムとかクソでサビ残や有給の未消化が美徳と言うのが一般社会の価値観らしいですし。
合理性より根性論を重視し、自分を捨てて会社組織のために奉職するのが一般社会にとっての社会人のあるべき姿なのでしょうからね。
心の底まで組織人になりきれず、合理主義に傾倒したぼくは多くの人から見ればきっと不良品なのでしょう(笑)
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″]- フレックスタイムやテレワークの持つ労使双方にとっての合理性よりも根性と忠誠心と無駄にしかならない闇雲な努力に美徳を感じて信奉している人々とぼくは水と油の関係そのものだ。
一般社会に適合しなかったぼくが生き永らえた理由を考えてみた
こんな水と油を界面活性剤でムリに混ぜるような時間を過ごし続けてよく生きてこれたしシリアルキラーにもならずに済んだな、って思いますよ。
それができた背景として彼女の存在も大きいですが、ブログの存在もまた大きかったですね
おかげで社畜一辺倒な収入形態への対策も持つことができたし、それによって絶望に染まりきらずに済みましたから。
オワコンにならないためにぼくはこう働きたい
バイオリズムとパフォーマンスを重視し、自己管理を徹底して合理的に働くには柔軟さというものが非常に重要です。
考え方や認知のみならず、人材の運用や事業のかじ取りに至るまで。
それが簡単に受け入れられないのもまた日本社会であり日本の労働文化です。
日本の一般社会の価値観とは水と油の関係であるなら水と油でいたままの方が健全でしたね。
一般社会に迎合するために自分を殺し過ぎた過去の自分を拳で修正してやりたいところですが過ぎたことを悔やんでも仕方がないのもまた事実。
一般社会の外へ出るためにもまずは次の戦いで論破されないだけの収入源を確保して今の環境から脱出することが第一です。
脱出した暁にはぼくの椅子を心底必要としてる人に譲ってあげたい。
変わり続け、オワコンにならないための身軽さを手に入れるためにも。
[su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]