JR九州が教えてくれるのは水戸岡魔改造車の凄さだけなのか?
1万人リストラしてもまだ溢れる3000人、赤字路線だらけでドル箱を召し上げられると言う地獄絵図から立ち直り、株式上場にこぎつけたJRの物語。
ななつ星は表面的な成功物語でなく、JR九州の歴史であり、九州の大地と海が作り上げた列車でもある理由をお話ししましょう。
いち料理男子として。 ブログ事業を運営する一人の人間として。
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15000人と大赤字路線から始まったJR九州
始まりは解体された国鉄と失われた山陽新幹線(ドル箱)から
鉄道事業の運営には無人駅化とワンマン化を推進すれば12000もいれば十分で3000もの余剰人員を抱えていて、悩みの種になっていました。
また、鉄道そのものも事業採算性が低く、お金を借り入れて鉄道を四苦八苦しながら運用するだけでも毎年運賃を5%ずつ値上げすることが迫られるほどの有様。
追い打ちをかけるように国鉄時代のドル箱だった山陽新幹線は小倉~博多をJR西日本に接収されると言う悪夢にまで見舞われていました。
JR四国も凄まじいけどこちらも充分「これはひどい」と言わしめるに足るほどの酷い状態からのスタートを切ることに。
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3000人を斬らなかった理由?これでも10000人はリストラして限界まで余所さんに面倒まかせた結果なんだぜ?(うわ・・・末期国鉄ヤバすぎ・・・)
行った改革
国鉄時代は貨物・軍用基準だった駅間の基準にとらわれず駅を増やして利便性を向上
余剰の3000人を効率運用するために飲食関連を扱う子会社(JR九州フードサービスなど)を作ってそちらに人員を移動し、収益力向上に努めた。
観光需要の掘り起こしを加速させるべく観光列車というジャンルを作るため、工業デザイナー水戸岡鋭治氏を抜擢(当時は列車デザイン未経験)。
これまで列車デザインを担当していた旧技術陣を力技で恭順させて水戸岡氏にアクアエクスプレスのデザインを一任してキハ58の魔改造を敢行。
ななつ星ばかりがイメージ先行しがちですが、実はこのアクアエクスプレスの成功が水戸岡氏の観光列車伝説の始まりだったのです。
さらにJR九州は攻め続け、博多駅ビルを中心にターミナル駅での不動産を扱い、駅ナカビジネス、ホテル事業にも力を入れます。
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多角経営が必ずしも悪になるとは限らない(その逆も然り)
ななつ星と多角化と株式上場
ななつ星を作った背景なしにJR九州の株式上場はあり得なかった
JR九州の名物と言えば水戸岡鋭治氏を観光列車のカリスマ・魔改造列車のスペシャリストとしての雷名を不動のものにした「ななつ星」ですね。
ななつ星は最低でも34万円はする高価格旅行商品であるにもかかわらず、その人気はすさまじいものがあります。
競争倍率20倍で応募者の30%はリピーター。
この列車はJR九州の「多角化」なしにはあり得ない産物であり、16年の株式上場への特急券だったことは言うまでもないですね
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ななつ星は水戸岡氏だけの作品じゃない。 JR九州・改革の歴史そのものだ。
JR九州4代目・唐池恒二
フードと鉄道を往復し、ななつ星を作った男
ななつ星の目玉の一つにダイニングカーがある。
このダイニングカー最大の特色は完全な車内調理というかつての100系新幹線の食堂車をほうふつとさせるコンセプト。
実は唐池氏が完成当時の社長でなければこの実現はあり得なかった話だったりします。
何せ、唐池氏が社長になったころにはダイニングカーはほぼ完成状態にありましたからね。
フードサービスと唐池氏
現在は東京赤坂にも展開しているJR九州の高級居酒屋「うまや」
唐池氏は2度ここで社長を経験しています。
1度目の治世で手間暇かけたこだわりの逸品を出すカリッカリの高級志向スタイルという現行のうまやをはじめとしたフードサービスの成功モデル作り上げたのは唐池氏だったりします。
うまやなどを大成功させた後、唐池は鉄道へと転属しますが、その間にフードサービスの手がけるコンテンツの人気が地に落ちてしまった。
原因は次の社長が仕入素材の格下げと冷凍商品の導入を行ったため。
マンパワーの軽減と徹底したコストカットが裏目に出たのです。
フードサービス危機の報せを受けた唐池は再び社長に舞い戻り、再建を進め、既存の成功モデルの再建に着手。
その後、ななつ星に携わる時期にJR九州社長に収まりました。
唐池氏は「高級志向と食」に関する経営哲学に反する部分のテコ入れとして完成品だったダイニングカーの見直しを行ったと言うわけです。
1シーズン遅れてのデビューになりましたがその効果は充分あったと言えるでしょう。
ダイニングカーに職人が詰めて料理を作るの有無一つで結果はずいぶん違った。
ぼくみたいに食にこだわる人間なら間違いなくそう断言するはずです。
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コストダウンと労力軽減は一元適応すべきではない。
労力そのものに意味があるシーンもあるのだ。(客はその演出も楽しんでこそしっかり価値を受け取れるとも言える)
水戸岡車ばかりでつまらん批判
水戸岡氏の魔改造車もぼくは好きです
STORKやSANGOなど、「みんなが使ってるものを使う」のがぼくは大嫌いです。(モノの良さ自体は認めている)
それだけに、金太郎飴みたいに水戸岡氏にデザインを依頼して観光列車を作って走らせるという鉄道各社へ批判する人の気持ちは充分わかります。
ぼくもヒネた性格をしていて、自分がリードしているものでなければこだわりの物に「みんな」という成分を入れたくないですからね。
それでも、私鉄・JR関係なく観光列車デザインに水戸岡氏が起用された車両は引きつけられるだけのものがありますね。
特に「食にこだわった」車両は。
料理男子としての琴線をいい感じに突いてくるんですよ。
欲を言えば丹後くろまつ号みたいなケータリング方式ではなく、もっと車内調理にこだわった仕様をガンガン打ち出してほしいな、って思ってますね。
地元に残って地元で活躍したい料理男子や食にこだわる高齢者の雇用にもなりますし、お客様の満足度も違ってくるはずです。
機械に生み出せない価値を息づかせる空間を残す意味でも是非、そういう進化を要望したい。
おわりに
迷走の北海道、気動車の進化に定評のある四国、多角化の九州
JRの中でも三島(さんとう)会社と呼ばれるこの3社は今も充分苦しい思いをしています。
それでも、JR九州が株式上場までこぎつけられたのは経営の合理化と選択と集中をしっかり行い手元にあるカードをしっかり運用していった結果ではないでしょうか。
ななつ星誕生の背景をみると、本当によくわかる。
そして、手をかける部分と効率化すべき部分をしっかり見定める目が必要だと言うのが痛いほど伝わってきますよね。
安さを売りにする部分は徹底的に効率化を推し進め、高級感志向ならその背景にある「価値と物語」を演出する必要があるため非効率でもあえて残す必要も出る。
レースの世界に例えれば、「勝つ為に」車のトータルバランスを最適化する。
そのために「あえてエンジン出力を落とす」デチューンを施すようなものでしょうか。
地方鉄道の再建のみならず、JR九州は事業を最良の形にすることそのものを教えてくれているのではないでしょうか。
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