「最近の若いものは」は死ぬ前に卒業しないと恥ずかしい

「最近の若いものは」は死ぬ前に卒業しないと恥ずかしい

アメリカ大統領が錯誤したレベルのことすら多くの人はすぐ忘れる。

ぼくはミリタリーオタクでもありますが、歴史オタクでもあります。
もちろん、カバ三チームの使ってる三突も好きな戦車です。(一番好きなのはヤークトパンター)

有名どころでは古代エジプト(プラトン)やそれより前のヒッタイト(紀元前1680年代)ではすでにこの様な発言をしている人がいることが確認されたのだとか。

生理現象と言って放置することもできそうな話ではありますが、出来るならばやりたくないことなのではありませんか?

言われるぼくらが頼りないだけかもしれませんが、そんな頼りないぼくらよりも頼れるご自身がしっかり律した方が収まるの早いわけですし、ここは一つ、「後輩批判ぐせ」の修正を目指しませんか?

【古代エジプトからの伝統】道理のない老害マウンティング

ルーズベルト大統領:ウチの若いもんは〇〇ができるのか?

〇〇に当てはまるのは「戦争」なわけですが。

競争相手に対し、技術面で追い付けなくなるなどして競争力が落ちた現場を見た瞬間、ハンドベルでメイドを呼びつけるような手軽さで老害は若者に批判を始めます。

「近ごろの若いもんは〇〇もできんのか(溜息)」って。

「俺たちができていたことができないなんてどういうことか?」
「何を俺たちから学んだんだ」
「学習能力のないポンコツめ!」って。

ルーズベルトも高射砲規格の戦車砲アハトアハト(8.8cm戦車砲)を搭載した重戦車「ティーガー」の登場を考慮せず、ティーガーに対してもがき苦しむ将兵に向けて苦言をこぼしたのは有名だといいます。(秋山優香里の戦車講座・大学選抜チーム編より)

アメリカ大統領にもなるお人すら「自分はWW1を苦労して戦い抜いた古強者年代」という自負のためかこのようなとんでもない錯誤をしたまま無責任に若者批判をするのですからね。

しかも、1913年には海軍次官を歴任していることから、陸軍のことはあまり把握できてないだろうし、お偉いさんだったから現場をそこまでよく理解できていたのかと思うと疑問視する余地もある。

米兵
お前の時代にティーガーはあったのか?
88mm砲積んでるくせに不整地25km/h、整地40km/hで走るバケモノだぞ!?

現場の将兵はこうも言い返したくなったこと請け合いでしょう。

違いすぎる条件下では同じことを繰り返すことができなくなることもあります。

ぼくらはせめて、この故事から一歩進んだ「人との接し方」というのをしっかり身につける必要があります。

 

ティーガーの時代とWW1の戦車時代の差

ティーガーはバケモノだ。

現代戦車の祖である英国のセンチュリオンや米国のM26パーシングはティーガー対策として作られたのですが、同時に「軽・中・重」の垣根を超えた「主力戦車」というジャンルを作りだしました。

敵にそんなことをさせるほどティーガーは衝撃的な存在だったのです。

そもそも、WW1で米国は戦車を開発していません。

英国が開発した最初の戦車マーク1は6km/h弱で走るひし形の鉄の塊でした。

快速性を追求したホイペットも13km/h強。

主砲はそれぞれ海軍砲を転用した6ポンド(57mm)砲と機関銃。

英国が相手にしていたドイツの戦車もマーク1とホイペットの間を取ったくらいのもので大差ありません。

それに比べてティーガー登場時はM4シャーマンが「5台がかりでようやく1台のティーガーを討ち取れる」とかティーガー投入前にドイツを苦しめていたT-34を1日で22両仕留めた車両すらある、なんて伝説的記録すらあります。

開発競争はWW2の中でで大きく差がついた。

WW2になると国ごとに圧倒的な差があり、イタリアの重戦車P40でもドイツの中戦車Ⅳ号と程同格ですし、同じドイツ中戦車でもⅤ号パンターと比べれば倍ほど小さい。

日本の主力だったチハたんだってドイツをベンチマークにしてしまえばⅢ号並。

三式中戦車などは本土決戦用兵器だったので実質的な技術レベルはチハたんどまり。

ドイツと並ぶソ連でも最大の戦車はISシリーズの40t規格。
マウスはおろか57tのティーガーにも届いていません。

まとめ
WW1とWW2では環境が違い過ぎて、とても「お前らはこんなこともできんのか」なんて言える状況ではなかった。

お前らは〇〇もできんのか?と老害発言する前に。

10項目で診断するあなたの「若き老害」度 

現場を知れ。リアルタイムで情報を更新し、変化を体感しろ。

それができなければ黙れ。

というわけです。

歴史を振り返ってもらうためにした趣味の戦車談義は切り上げ、老害発言の問題についての話題に戻しましょう。

確かに、環境に全責任をなすりつけるなという意見は納得できます。
かといって闇雲な努力依存を押し付けるのもダメです。

ダメというだけならいろは坂の猿でもできることですからね。

環境面の不利を埋める助言や環境面の不利に対応したアイデアを出し、建設的な発言をするのが人間の仕事です。

権威をかさに着たり、年齢を楯に好き放題に人をいたずらに傷つけても何も生まれません。

まとめ
環境依存は確かに良くないが、老害発言だってそれに負けないくらいダウトだ。
人に闇雲な努力を求めることあらば老害っぽさを修正する必要がある。

おわりに

老害になったら→予防>修正≧引退>(超えられない壁)>放置

老害になるのではなく、健全に老いるための作法があるとすれば、「いつでも引退できるようちゃんと黙ることを覚える」でしょう。

沈黙は金、雄弁は銀という格言があるように、沈黙の価値をしっかり知る必要があります。

「黙ってない」ことが必ずしもいいとは限らないのです。

半沢直樹や花咲舞は爽快な創作であることは認められますが、現実の戦いはもっと静かでしたたかにやるものです。

ぼくらが生きているのはあくまで現実と知りながら、頭を使うことで人間らしく生きていきたいものですね。

すぽんさーどりんく


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