速く、硬く、確実な納得を与えることを考えるなら?
見切り発車という電撃戦以上に有効かつコスパのいい方法はないとぼくは答えるでしょう。
コスパ厨のぼくは感情論や道徳より結果論を重んじます。
見切り発車はドイツ電撃戦であって、親説得などの交渉に駆けずり回る人たちは三国時代末期にて北伐を敢行する蜀軍であり、ぐでーり案に蹂躙されるマチルダ歩兵戦車であるという理由を披露いたしましょう。
グデーリアンは言った。厚い皮膚より速い脚だと。
[outline] [su_box title=”あわせてよみたい” style=”soft” box_color=”#f5502b”] [/su_box]【親説得が無駄な理由1】まともな話し合いを求めることそのものが難しい
人は話を聞くことに苦痛を感じ、自分の話を始めたがる生き物だ
この大前提がある限り説得という作業そのものが無駄になってしまいがちですね。
昔から「沈黙は金 雄弁は銀」という言葉があるように人の話を聞くことのできる人というのはそれだけで希少人材なのです。
たった一人の相手に稀有な才能を求めなくてはならない状況という時点ですでに時間を浪費するフラグがMAXレベルで立っているんです。
人間という動物に沈黙を守れるほどのこらえ性はもともと備わっていませんし、相手が変わることに対して非常に不安を覚えて浮足立つもの。
意識的に学習を始め、研さんを積まない限り「人の話を聞く」ということはできないのです。
日ごろから頭を使って物事を見聞きしている人ならともかく、テレビに向かって吠えているようなオッサンがゴロゴロいる上、教条主義に支配され切っている人だらけの日本社会の中に埋没した大人にどれほどの期待ができるでしょうね?
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 「俺の話を聞け!」の応酬になり、時間だけがいたずらに消えていく確率が日本だとこれ単体で99.99%。[/su_box]
【親説得が無駄な理由2】話す内容が本一冊分くらいの長さになりがち
140文字以内で伝えたところで相手は持論への引き込みを必ず狙ってくる。日本人の大人なら。
「1を聞いて10を知る」というのもまた稀有な才能でしょう。
「1を聞いて3を知る」くらいまでダウンサイジングしても希少であることは変わりありません。
相手は納得するために実績もしくは仮説と論拠、自分の道を信じるに値する理由、具体的行動とその予定、自論(日本人の多くは世間の常識も含む)との摩擦点、自分やコミュニティへの被害、被害が想定される場合に取る対応策、先駆者の有無・・・
と、2行ではとても収まらないだけの要素を求めてきます。
たった一言「わかった。好きにしろ」と一言いうだけのためにね。
これだけの章立てがされた内容を全て伝えるならばビジネス書が1冊書けるくらいの文量となることは想像に難くないでしょう?
話している間に相手も内容の欠落を脳内で起こすし、長話を聞いているのが堪えきれなくなって眠りこけるか話の腰を折るなど、無用なアクションを起こすことは避けられない。
親説得とは編集も聞く側の才能も必要なるのに得られるのは相手の了解だけという骨折り損が前提なんです。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 相手に長話を聞かせる前提という時点で相手が焦れる確率は99.999%まで跳ね上がる。[/su_box]
【親説得が無駄な理由3】説得が必要な状況そのものである
上の条件がしっかりそろっている上に親のism逆撫でが前提
説得とは「相手を変える」ための行動です。
自分が変わるために何か新しいことを始めることですら腰が重くなりがちで、自分の納得が取れてから行動に移すこともまた時間もかかりがち
即時即断ができるというだけで才能豊かな人というには充分すぎると言えましょう。
人間は習慣の生き物なので、変化を嫌うのが本質だといえます。
もし即時即断と自己変革のメリットを正しく理解して実行を積むには才能抜きでやる場合、それなりの研さんが要求されます。
まして他人を変えるとなれば自分のコントロール範囲外の事象・現象を変化させるという難しさがのしかかってきます。
それだけ手間も多くなるし、話がもつれて余計なストレスを抱えることになることは必定。
相手の常識の中で収まる行動を起こすならば説得そのものが無用ですからね。
相手の常識の外で何かをやるので説得の必要が検討されるわけですし、「相手にとってのありえない」は高確率で神経を逆なでします。
必ずと言ってしまっても差し支えがないほど高い確率です。
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 相手の感情まで逆撫でするうえに、自分を変えること以上の難しさがのしかかる。それだけの労力を払うに値するか、戦略上のリスクを考えつつ熟慮の上で説得の必要性を問うべし。
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3つの条件がそろった時に起きること
親説得というものが無駄な理由。
・親のismを逆なでする内容を話すことになる。
・理論にして順序立てて説明すると本1冊分くらいの内容と長さになる
・そのような内容の話を親が黙って聞いていることはムリ。
こらえきれずに99.99%の確率で話の腰を折り、感情論に走って議論は崩壊— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2017年12月24日
水掛け論と平行線とぐちゃぐちゃの感情論の応酬でうやむやになる
「あなたは聞くに堪えない不快な話を長々とされるのは好きですか?」
そういう問いかけを自らに投げる癖をつけるのは説得や交渉をしていく上で非常に大切になりますね。
説得とは「自分のやる派手さのある新しい行動を承認させる」戦いですから。
戦いである以上、相手と自分がどんな状況に置かれ、相手はどのようなカードを切ってくるかというのを常に予測し、分析を絶え間なく続けながらして行くことが要求されます。
しかも相手は簡単に防ぐことができます。
立場上、簡単に「話を破壊することができますからね。」
説得や交渉は防衛側有利がセオリー
怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる ピタゴラスの定理でおなじみのピタゴラスの言葉ですが、現代にも通じる真理です…
話し合いそのものを感情論の応酬に持っていき、空中分解させるだけで相手側は交渉や説得という類のという戦いで大きくメリットを得ることができます。
感情論に走るのはいろは坂の猿でもできるほど簡単ですがなだめることは非常に難しい。
しかも攻め手が「話を聞いてもらう」側になりがちなので風下になってしまうのもまた避けにくいので、陣形・地形で圧倒的不利な侵略戦を仕掛けるのと同じ状況に追い込まれます。
防衛側は相手が行動を諦めてくれなくても自分を説得させることに価値を感じている間、相手は手をこまねいてくれるので時間稼ぎだけはできてしまいますし、手をこまねいている間に攻め手は熱意を浪費していくことになります。
守り手は交渉を数度つぶせばそれだけで相手を折れさせ、勝ちを挙げることすら伺えるのです。
似たような故事に出すなら諸葛亮の北伐と司馬懿による防衛がそういう構図でしょう。
攻め手は食糧や士気の面で疲弊し、守り手は充分な補給を受けつつ相手の出方をうかがい、備えをして予定調和のうちに疲れながら向かってくる相手を撃退すれば済みます。
説得とは陳倉の戦いや五丈原の戦いなど、疲弊を前提とした北伐を仕掛ける蜀側になるというのはご理解いただけましたでしょうか?
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 交渉相手が本当に「理解を得るためだけに多大な骨押し損を重ね、時間を費やすだけの価値があるか」を見極めるだけの目が必要。[/su_box]
おわりに
数字や名声として実力を見せるよりコスパのいい方法はない
親や友人の説得という手間を省いて見切り発車する最大のメリットは、交渉に必要なことを「走りながら」積み上げていくことができる点です。
仮説ではなく積み上げた結果を基に話もできますから手持ちのカードも増えます。
遊戯王と違って手札5枚制限もないから手持ちのカードが多ければ多いほど有利な戦いというのもうれしいですね。
さらに見切り発車してしまえば相手から停止交渉を仕掛けさせることもできるので、こちらが有利な防衛側に立てます。
結果を重視するならばどんな相手を前にしてもどんなエグい戦術を使うことにも躊躇しないはずです。
結果が出そろえば、停止交渉をしてくる側などというのは結果の前にひざを折ることにもなりますし、走りながらですのでPDCAがスムーズなだけでなく「出た結果による恩恵や教訓」を受け取ることができます。
親説得で足踏みしている競合よりも早く。
行進間射撃で敵車両を撃破するかの如く。
さらに他の競争相手にスタートダッシュをキメられ、落伍を強いられる状況すら防げます。
まさにドイツ電撃戦です。
グデーリアンの名言「厚い皮膚より速い脚」というのはスタートアップの面でも非常に有効なアドバイスでしょう。
親を説得することにどれほどのメリットがあるかと言われればぼくはないに等しいと答え、見切り発車を全面的に推すでしょう。
[su_box title=”あわせてよみたい” style=”soft” box_color=”#f5502b”] [/su_box]