【弱肉強食】自然の摂理と童貞と処女。ときどき三十路

【弱肉強食】自然の摂理と童貞と処女。ときどき三十路

優れた者だけが生き残る。

惰弱なものが無駄に生き残って世の中を混乱させた例は人類史上、古今東西はいて捨てるほど転がっています。

この世は人が弱者であることを許そうが、天が人が惰弱であることを決して許しはしないのです。

障がい者が災害で逃げ遅れて死んだり、障がい者保護のために命を張った人が犠牲になったりするなどの形で常に結果をリアルは突きつけてきます。

【自然の摂理】恋は戦争

恋愛とは戦争行為が発生しない「戦争」なのだ。

所詮この世は弱肉強食。
強ければ生き、弱ければ死ぬというのが抗えない宿命です。

競争が生物の宿命である以上、嫌もクソもヘチマもない。

自然の摂理なのですからね。

戦場へ一兵として投下されたなら戦闘が終わるまで敵兵を殺し続け、仲間を楯にしてでも生存することが求められているのと同じですよ。

戦闘が発生してないだけで24時間365日どこにいようとそれは変わりありません。

恋は戦争、とはよく言ったものです。

男女ともに等しく35を過ぎて経験人数0なら自動的に敗北者となります。

それを考えれば、意外過ぎるほど男女って平等なのだと気付かされますね(笑)

マジョリティになればこのマッチョな論が変わるというロマンチストさんもいらっしゃるようですが、生物であることを辞めでもしない限りそれはあり得ないと断言しておきましょう。

何せ弱肉強食は自然の摂理であり、生物の宿命ですから。

 

【自然の摂理】童貞処女の30/35締切ルール

童貞がバカにされても文句言えない理由

35過ぎたら欠陥品。

生存競争の勝利者となるために「戦略的に」童貞を守っていたりガチモノの修道士として死ぬと決めている場合を除いて童貞は負債を表す記号です。

お笑いのコンテンツ作りで童貞がウケている状況を利用して生涯賃金の7割を稼ぎ、目的達成とともに金の力で脱童するような戦略をぼくは否定しません。

ただ、どんな事情があろうとも30が通常の締め切りで35が真デッドライン(越えてはいけない締め切り)です。

たとえ、35童貞がマジョリティになったとしても。

35を超えたら「殺人的に修正不可能なレベルで」人間として無駄の多い生活をしていたり欠陥があることを意味します。/

早いが話、不良品ってこと。(社会不適合者うんぬんどころか人間という一個体レベルの話で)

30締切35真デッドラインの法則は女性にも当てはまります。

女性の場合はガチ修道女を除いて30まではブランド、35で腐りきるというのが処女というものです。

男が余ってる中で35にもなって「攻める価値なし」判断されてしまっては童貞と何ら変わりませんからね。

責める価値のない城なぞ、攻城戦への参陣を許されなかった一兵卒と同等も価値しかないでしょう?

そういう理屈なのですよ。これって。

まとめ
童貞も処女も猶予期間は基本30まで。
異論は認めないし、そもそもぼくが認めるものでもない。

【競争・勝利】技術が無いなら金を撒け

ブロガー必見!発信者がZAIFを使っておくべき理由

技術で勝負し続けて負けが見えるなら強硬手段に出ることは不自然なのかな?

プロブロガーを中身が無いと批判する前に、フォロワー数で自分が劣るならそれはただの軽挙妄動なのだと推して量り、慎むことができる存在が人間です

出来ないバカは人の姿をしていようとも駄犬でしかありません。

いや、駄犬にも劣るクズだ。

(すり潰されたくなければ)お店を使ってでも30までに童貞を捨てるべきなのと同様で、勝つために金を撒くのも一つの戦い方だと認めましょう。

撒けるトークンの時価にもよりますが、2017年12月現在なら10000円も予算あれば1000人なんて3か月以内に達成できますよ。

コンビニバイトの高校生ですらできることです。

「フォロワー数が全てじゃない」「金が全てじゃない」なんて発言はフォロワー数や金を稼いだ人間が言うからこそ意味があるものになるわけじゃないですか。

稼げていない人間にとって1000超えない期間はどう足掻こうと「フォロワー数が全て」です。

30過ぎて童貞を捨てられずに「困ってる男」はそういう視点が殺人的に抜け落ちてますから、不良品言われても仕方ないですね(笑)

まとめ
戦いにカッコイイも悪いもない。手段を選ぶな!

自然の摂理とは徹底した自然淘汰による優者必勝社会

落伍したものは糧となり、優れた者の未来へとバトンをつなげる。当たり前のことだろう?

糧にすらならない弱者は存在する価値すらありません。

自殺を推奨するわけではありませんが、大人しく糧になるか糧を食らう側になるまで何らかのガッツを見せないと本当にただのゴミ。

命を糧どころかゴミに変えるのは罪以外の何物でもありません。

自然の摂理が優者必勝社会を意味する以上、勝利こそすべてです。

犠牲を払わず勝利を収められないなら何らかの犠牲を強いられるのは至極当然です。

骨を断たせないために肉を切らせてでも敵の骨を断つこともまた。

兵も民も国も滅ぼしつくされて敗者は全てを奪われるというのが世の常だと知れば当然でしょう?

何が負けで何が勝ちなのだろう

本物の敗北は、「死ぬ」「自分で考えることをやめ、完璧に家畜に成り下がる」「勝利を目指さないくせに家畜以下の分際で勝利者の足を引っ張ろうとする」

この3つでしょうね。

また、勝利や敗北も3種類あります。

戦術的勝敗、戦略的勝敗、本質的勝敗

戦術的な負けは通常の反省と改善で挽回を図れば済み、戦略的な負けはめっちゃ凹んで本気の学び直しを要求されるキツイ負け。

本質的な敗北は文字通り生き死ににかかわるガチでヤバい「本物の敗北」。

本物の敗者になるなら、大人しく物言わず運命を受け入れて死ぬまで勝利者につくし、黙ってこき使われるべきです。

それが糧としてのまっとうな生き方。

もちろん、消費する側もやり過ぎれば犯罪被害に遭うことを理解し相応の扱いはする必要はありますがね。

別の糧を勝手に廃棄されてはたまりませんから。

まとめ

戦う、守る、逃げる、降伏する、死ぬ結局この5つをぼくらは常に選びながら生きる。

愚劣なままでいると死ぬしかなくなる。

おわりに

弱肉強食は自然の摂理

弱肉強食が宿命である限り弱者のままでだらだら生きようとすることはまず許されないハズだが、それでもなお自己研鑽を怠る人は多い。

「守ってくれ」と要求ばかりする存在が >何の価値も示さずにのさばっている状況であるならば</strongそれなりの状況や評価を与えることの何が不自然なのでしょう。

弱者保護と吠える前に少しは肉食魚の体調メンテを担うホンソメワケベラを見習ってほしいものですね。

ゴミは掃除しなくてはなりませんし、自分の命をゴミに変えてしまうような存在は矯正する必要があります。

矯正の末によって死んでしまうというのならそれを淘汰と呼ぶのでしょう。

命の存在が競争を是としている限り自然の摂理に逆らえないと知ったとき、それに従い自己拡張に励む以外に正義と呼べる行為がどこにあるでしょうか。

オタクでも研鑽の末に非オタ以上にモテ度をアップさせ、非オタでも進歩の無い愚鈍なものであれば淘汰されることに何の不思議もありませんね。

非モテ要素その一つや二つを言い訳にして童貞である自分を丸ごと誰かに受け入れさせようと考えている男は今すぐ考えを改めるくらいでちょうどいい。

何度も言いますが、生きる事とは戦いであり、「戦う、守る、逃げる、降伏する」の連続。

希望を持って研さんに励むもよし。絶望して口を閉ざすもまた良しです。

すぽんさーどりんく


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