虚栄心に憑りつかれたしわくちゃの魑魅魍魎(クリーチャー)が跋扈する未来
それは、労働万能説に依存してきた日本の近い将来のことです。
もっとも、老害たちの百鬼夜行は今に始まったことではありません。
「その百鬼夜行が本格化することで誰が被害に遭うのか」について考えることがこれからの若い男に必要となってくるでしょう。
その理由をぜひ、垣間見ていただければ嬉しいです。
[outline] [su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]【未来予測】老いた妻を捨て、金で若い女を買うジジイが増える
手に入れた時間と空虚を埋めるための行動がくっころを量産
くっころとは、とどめを刺される寸前にトロールなどに向けて女騎士が「くっ…殺せ…」と呟くシーンのこと。
当然、くっころシーンで美味しい思いをしようと目論む裕福なオッサンは「店に通う」なんてみみっちいことはしません。
(自分たちには関係ない)労働万能説の崩壊を恐怖トークとして使い、背後にある退職金と生きている年金をちらつかせ「衣食住の保障」を武器にします。
そうして20代や10代後半の女性を1本買いするわけです。
「高校教師になれば40代で16の妻も夢じゃない!」が男のロマンとか言われた時代もありましたし。
今や教師じゃなくても「60で16の妻は可能」になりつつあります。
保有してる日本円の量によっては内縁の妻を5人くらい抱える御仁もでてくるでしょう。
消費財としての使い勝手がよく、コスパに優れる
正直なところコスパというぼくの大好きな言葉をこんな話題に使いたくないのですがね。
例えば、マセラティなど買おうとすると8000万円とかかかってくるため、手が出しにくい。
ですが、女性だとその気になれば3大キャリアの携帯代に毛が生えた程度で月払いにて維持管理ができたりしますし、飽きたら労働させ、金ヅルに仕立てるという手段をとることも考えそうです。
男の虚栄心を満たすなら豪邸・美女・無駄に高級なクルマと相場は決まってますからね。(老害的価値観に染まっている人は特に)
車でも虚栄心は満たせますが、支配欲と背徳感をハイにしてくれる存在と言えば車より若い美女でしょう。
サラリーマン時代では味わえなかった支配欲が満ちていく感覚はオッサン世代にとってはたまらなく、麻薬的な刺激となる事でしょうから。
長年連れ添ったパートナーを切り捨て、娘を別の老害に売り飛ばし、息子は自分の傀儡に仕立てるような鬼畜の所業に手を染めることすら厭わなくなるほどに。
一言で片づけるならDQNが中古レクサスに飛びつくのと同じですが、やり口は下手なDQNより凄惨なものになるでしょう。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] オッサンは何もない自分を虚栄心で満たそうとし、その虚栄心を満たすための浪費に走る。貧困女子ほどおいしいターゲットが無ければ必然的にそうなる。
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【未来予測2】貧乏ジジイは暴徒化する
貧乏だと暴力に快楽性を求める
汚らしい風貌でコンビニやファミレスに入店し、若い店員のアラを探し、アラがあればムダにでかい声でつばをとばし、軽く暴れながら罵る悪質クレーマーになるでしょう。
相手が若くて可愛らしい女性店員なら尚更いい獲物でしょうね。
あとは万引き犯になることも考えられますね。
高齢万引き犯は手持ちの金で買えるちょっとしたものを盗む傾向にあり、動機は「スリルを味わうためだけ」というのが多いです。
玄人にもなると、ガラガラの鉄道に乗車し、空気に向かって恫喝を始める者が増えるでしょう。
そう考えれば隠しカメラは「買い」かもしれませんね(笑)
Youtube用の優秀な素材が集まること請け合いです!
【未来予測3】高齢女性の自殺や餓死・凍死、傷害事件も増える
裕福な旦那(ゾンビ)に捨てられ、暴走老人に滅多打ち
バブリーな時代を生きた旦那を持つ高齢女性にとっては悪夢が待っている状態とも言えそうですね。
捨てられ事案は現実のものとして起こっており、メディアが取り上げることもあります。
力なく歩いてたら暴走ジジイやBBAにぶつかり、殴る蹴るなどの暴行を受ける事すら十分考えられます。
貧乏じいさんが旦那の場合は加害者になるにしても被害者になるとしてもDVに苦しむ事案も考えられそうです。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 「刑務所で生きながらえる」ことを目的として万引き犯になる事案も加速度的に増える見通し。現在も女性刑務所は老人ホーム化が進行している。
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虚栄心依存の老害=中身が無い量産型がそのまんまジジイになったやつら
人材価値ゼロのアフターストーリーは裕福でも貧しくても悲惨だ
「若い」と「がむしゃら」、「年功序列」だけで生きてきた人間が老いるとどうなっていくでしょう。
活躍の場もないし、成長が20代で止まってるくせになまじポジションだけ上ってしまっただけあって、会社という鎧を剥がれた後の寒々しさは相当なもの。
部長や次長という肩書があれば飲みニュケ―ションに若い衆を何人か徴用できたし、嫌々ながらも話を聞いてくれ、忖度してくれましたから
定年を迎えれば美味しい思いが出来ていた環境がなくなる。
依存傾向が強いことに定年後になってようやく気付いた時は時すでに遅し。
管をまくのに付き合ってくれる相手はよくてロクにパートナーとして接することがなかった老いた妻一人、といったところでしょう。
落差を考えれば人間としてのルールも守れないようになるのは仕方ないけど、道理に従えぬものがバカであるのもまた事実です。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] こんな歳のとり方をすることが「いいことだ」、「美徳だ」と言われてもNoと言いたい。[/su_box]
暴走老人は実年齢と見た目は60以上でも中身は25以下
実のところは5歳レベルかもしれません
子供ができたあと、同レベルのガチ喧嘩を3歳児や5歳児と繰り広げてすねたりする親は多い。
こんな格言を知ってますか?
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない
これは神のみぞ知るセカイの主人公・桂木桂馬のセリフ。
五十歩百歩やどんぐりの背比べと同じ用法で使われることの多い格言です。
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”tm.jpg” name=”てーとく”]何が言いたいのかは、みなまで言わずともわかるな?[/speech_bubble] 進歩の無い歳のとり方だけはしたくないものですね。導き手としての威厳は体格差や年齢差で示すものではないことくらいは覚えておいて損はないでしょう。
おわりに
恋人をフランケンシュタインの奴隷にしない方法
それがあるとするならば自分が強くなり、勉強を重ねることを怠らないことでしょう。
勉強と言ってもロッキングチェア学問のことや、公教育スタイルの一方的な受け身の学びではありません。
まず仮説を立てて計画し、実践。 反省を行って失敗要因や改善できる部分を洗い出して改良案を作成し再び計画するPDCAサイクルを回すことに他なりません。
本当の賢さというのは、実践と反省の回数に裏打ちされた想像力までをも内包するステータスなのでしょう。
それが低いまま年を取るからNTRされても自分がそのまま嫁にしても相手の女性は老害との生活を強いられることになる。
これだけは、忘れないようにしたいものですね。
男の子なら。
[su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]