指示待ち人間と合理主義者の決定的すぎる違い │ 陰キャのモテ道オンステージ

指示待ち人間と合理主義者の決定的すぎる違い

指示待ち人間と合理主義者の決定的すぎる違い

某社会学者(58)M氏:86年代以降はゴミ。昔はよかった。

86年代より前の人というのは文句だけ言うゴミよりは確かに素早く優秀ですね。

ですが、伝統や規則、マナーの存在を疑う人というのを「思考が劣化した」までは同意しますが、合理主義者と紐づけされたのには唖然とさせられましたね。

本物の合理主義者がどれだけ人の感情を無視してまで結果をストイックに追い求めるかについて、あるコラム記事を題材にして紹介することにしましょう。

偉い人が合理主義者とゴミを混同しないように☆

懐古厨「合理性への傾倒と言う名の劣化」

1986年以降の若者は「合理的」ですか?

1986年嶺水説と言う持論をお持ちの某社会学者さん(58)は産経系の読み物の記事で述懐する。

まずはみんなで言い分を聞こうではありませんか?

1986年以降の劣化エピソードまとめ

ネット上のコミュニケーションに傾倒し過ぎてウェットな関係性を構築できない
主体性に欠け、忖度に欠ける。「休講情報を口頭でリークしたのにどうして伝えない」
闇雲な暗記は設定されていること自体に意味がある。いちいち存在意義を問うな
空気読み過ぎ。熱かったら窓くらい開けろ。文句が怖いなら訊けや

ザックリ整理すると氏がまとめているのはこの4点。

当該記事を見るに怒りの意識に憑りつかれた状態で殴り書きされているような印象を受けました。

合理性と言う言葉を使っているあたり、氏が一番気に入らないのは3つめの「暗記」についてでしょう。

 

考える力の劣化そのものは確かに存在する

オッサンの劣化レプリカ扱いの男子が恋愛市場で勝ちを拾うためには?

思考力の抜かれた若者が「何のために量産されたか?」を問おう

若者が自発的に劣化したと言うよりは劣化するように計画量産されていると言うスタンスなので、「思考の劣化」と言う結果を導き出す過程こそ異なりますがね。

1997年からのデフレスパイラル等による経済状況の硬直化は老年世代にとって若者を消費と代替が可能な食い物に換える絶好のチャンスだったとも言えましょう。

時の永田町が教育の抜本改革を行わずに「ゆとり」という形に舵を切ったのがいい証拠です。

教育「も」実質的には何も変わらない、と子供たちに感じてもらうことで考えることを放棄させ、指示待ち仕様の色をより濃くしています。

学校の教育そのものも、予習ではなく復習させ、「後に続かせる」スタンス。

リアルな話、積極的な予習をして小学校に中学で習うやり方を持ち込もうなら容赦なく減点対象になりますからね。

システム面で言えば考える力を育てるどころか排除する機能の方が強いんですよ。

意志のない若者の多くは老年層と言う指導者の指示を鵜呑みにして思うがままに動いてくれるという構図が出来上がります。

欠点があるとすれば「PC(コマンドプロブント)にコードを打ち込む」よう馬鹿正直に指示を与えないと文鎮化したまま稼働しない点でしょうか?

まとめ
闇雲の指示に従うことを絶対視される環境に置かれれば思考能力はなくなる。

暗記や規則を疑うことこそ合理主義者の「思考」

「これ、意味あるんですか?」と問う前に実行を伴うのが真の合理主義者

問うプロセスは合理主主義者もそうでない者も通りますが決定的に違うポイントが「行動の有無」です。

そして、必要性を理解すれば怒鳴らずとも勝手に作業反復レッスンに戻ってきます。

その後の熟達は恐ろしいくらい早いのも合理主義者の特徴です。

ただブーイングしてモタついてるだけのゴミどもと一緒にするあたりなかなかの節穴っぷりですね。

合理主義者と言う生き物は教条主義的な教えのもと、闇雲に伝統に従うクラスタよりははるかに思考能力に長けていますよ。

氏が許せないのは伝統や権威を無思考な木偶の棒に踏みにじられたような状態、なのではないでしょうか。

氏は思考を尊ぶような文を書いてこそいますが、恩師の言葉を引用して「お前らが考えるなんて10年早い」と人間の頭脳を軽んじてもいますし。

むしろ、思考ではなく「テレパシーのように思考を読んで思い通りに口にすることなく動いて欲しい」という老年層独特の欲求さえ透けて見えるようです。

まとめ
教条主義に「とりあえず従う」者は合理主義者とは言えない

【無思考ではあるが・・・?】空気読み過ぎ病な若者たち

【考える力喪失時代】考えない葦が考えない葦をコピーする世界

無思考ではあるが合理的ではない

夏の授業のエピソードにも紹介されていましたが、本当に合理的な者は批判を恐れず堂々と窓を開けます。

もしくは学習効率が落ちると判断して自主休講しますね。

指示待ちをしてる無思考人間に合理性は皆無なんですよ。

このように、本当に合理的な人の行動と言うのは、人に聞く前に仮説を立て実践し、とっとと結果を脳に蓄積し、早々に改善案を組み上げるものです。

まとめ
無視乞う人間と合理主義者をセットにするのはいかがなものか。

おわりに

86年以降の「本当に優秀な合理主義者」はエンカウント前に逃げ出したにすぎないのでは?

もし、氏の講義に脳みそド降れゲロ豚ビッチな量産型のゴミしか集まってこないのなら次のような現象が起こっているはずです。

それはゴミの群れにいることを拒否した「思考に長けた本物の合理主義者」がゴミの中に溶け込むことを嫌って裸足で授業から逃げ出した、と言う現象が。

「とにかくやれ」と言われ続けて思考能力が身についたのだ、とすれば氏が類まれな天才だったに過ぎなかった、とも言えそうですね

ぼくが見てきた88世代~90世代の凡百な量産型はみな、「教条主義」にたいして素直でしたよ。「恐ろしいほどに」

まるで魂を抜かれたゴーレムと形容できるほどにね。

すぽんさーどりんく


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