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戦う人間を5つの要点の外から罵る人間がゴミでしかない3つの理由

2018/02/04

戦う・守る・逃げる・降る・死ぬ

司馬懿仲達が語った戦の5つの要点です。

ここから外れている人は戦っている人とは言い難いでしょう。

しかし、世の中には戦っている人に向かって安全圏から石を投げるようなゴミが山のようにいるとも聞きます。

そんなゴミどもにぼくは灸を据えたい。

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戦うというのはそれだけで称賛に値する

逃げることや敗けを認めることも「戦い」なのだから

戦いに覚悟は必要。確かにそのとおりではあります。

ですが、平和の中にあるこの現代日本でそのようなセリフを言い放つ資格のある人間から戦っている人間に向かって言っている例は稀でしょう。

何かと戦うということは負けを認める恐怖の中でアグレッシブに攻めに行く姿勢で目の前の課題と対峙しているわけです。

援護射撃をする理由はあっても味方陣営からまっとうに戦っている味方の背中に向かって発砲するようなことが正しい行いであるはずがありませんよね?

足の引っ張り合いにのめりこんでいく凡愚こそ張り倒され、目を覚ますべき馬鹿者どもです。

まとめ
戦うことは勇気がいる。 負けることを正しく恐れられる者が安易に中傷することなんて普通はできない。

責められない逃げと責められる逃げ

それでも、「戦いの中に身を置いている」

戦うというのは攻めることと固く守ることだけが能ではありません。

無謀を悟ったり戦闘の継続そのものが戦略の破たんを招くと知れば逃げることも考えなくてはいけません。

今日勝つのが一番いいですが型通りに運ばぬ時も多いですからね。

明日に勝つための逃げを責めるのは脳筋だけです。

負けるのが怖いという理由だけで必要な戦いから目を背ける時にこそ「戦え」と責め、叱咤を受けるべき時です。

けど、敗ける痛みをしっかり理解し、自覚しているからこそ恐れているという点は十分に評価できます。
強くなるためにはそういう段階も必要ですからね。

まとめ
負ける怖さを知る人間だからこそ「逃げ」という決断ができること自体は立派なこと

逃げるにも劣る「安全圏から石を投げるだけの人」

間違ってもそんなゴミが逃げる人間を責める権利はない

いじめという行為が楽しいと感じるような一部の脳みそド腐れゲロ豚ビッチな量産型あるあるですね。

人をいじめるためだけに生を受けたのだと抜かすならそいつはただのゴミですね。

いじめて愉悦に浸ったところでそれは永続的なものではありません。

しかもそれしか自分の不幸を騙す術を持ち合わせていなければ当然のように常習化します。

負けの恐ろしさから目をそらしているから戦うことも守ることもできず、正しく負けを恐れられないゆえに逃げる意味すらわからず、死ぬ勇気すらない者は得てして誹謗中傷という「安全圏から石を投げる」しかできないゴミです。

そして自らの知識不足を、誰かの過失という楯を使って煙に巻こうとすらする修正しがたい頭の悪さには反吐すら出ます。

まとめ
知識とは、自らを満たしたり欺く術のヴァリエーションだ。

おわりに

顔出し発信者(女性)に石を投げる最低野郎に告ぐ

「覚悟が足りない」「リスクも考えとけ」言う人はひぐらし解の祭囃し編序盤で描かれたオッサンが束になって女子児童をリョナするシーンを見て胸糞な思いをすることをお勧めします。

そして知っていただきたい。

自分たちがそのオッサンなのだとね。

弱い者いじめしかできない人間は負け犬にも劣るゴミです。
いや、もはや人間と呼ぶことすら憚られます。

一部のゴミを除きますが、女の子を精神・物理問わずボコるなんて理解できませんね。

戦わない人間が戦う人間をどうこう言う資格などありません。
その程度のこともわからない人はやはり頭が腐っています。

安全圏から石を投げることしかできない脳みそド腐れゲロ豚ビッチ野郎はさっさとゴミとして処分されて欲しいものです。

すぽんさーどりんく


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