【歴史に学ぶ】敗戦から何も学ばない日本人はオワコンでしかないンゴ

【歴史に学ぶ】敗戦から何も学ばない日本人はオワコンでしかないンゴ

1945年から変わり映えしないニッポンの価値観

長時間労働や不必要な飲みニュケーション、デスマ、休日を犠牲にしたゴルフ接待という名のサービス休日出勤などこの日本ではブラック話に事欠きません。

一昔前の価値観に固執して足元をすくわれる人間が多いのも。
苦痛に無駄な付加価値を感じているものが多いことも。

そんな戦時中から変わり映えしない日本が後進国呼ばわりされるのも無理はないですね。
何せ歴史に学べてない人がこの国にはゴマンといるのですから。

 

根性でゴリ押す点が進歩ないね。

【脱・根性万能説】根性論を叫ぶ前に根性のトリセツを熟読すべき

人的・物的・知的資産の物量にひざを折った歴史を忘れたのか?

ガルパンのキャプテン(アヒルさんチーム)は嫌いじゃないしむしろ好きな方だけど、根性万能説で軍を動かした結果、余計な死傷者を出す形で人的資源を浪費して日本が連合軍に屈した歴史から何も学んでいない根性教信者は現代人にも多いですね。

根性教信者が未だに多いのはもう崩壊している労働万能説に拠った大卒信仰という虚像を武器に財布と時間と人的資源の浪費を促進する公教育システムの存在はとても大きいと言えます。

基本的に小学校高学年から高校の役割は能力開発は二の次で、社畜に仕立てあげることが優先される調教期間なのです。

学校の先生は教えるプロではなく、マニュアルと教育委員会や文科省の指示に従って言われたとおりに動くことのみが求められているので、勉強の進捗度を加速させる機能は副産物でしかありません。

ですので、具体的なアドバイスを求められても「がんばれ」としか言わない人も多いし、進んだやり方で解を出そうものなら不正解扱いによる減点や不可扱いすることも躊躇しません。

公教育の真の役割とは、能力開発ではなく「命令は絶対」「苦痛に耐える=至高 耐えられない=不良品」だと生徒の脳にインプットして根性万能説に根差した社畜根性の醸成にあります。

舞台が沖縄やペリリュー島、ガ島から現代社会のオフィスや学校に変わっただけで旧日本軍の「上官の命令は天皇陛下の命だぞ!」という教育姿勢は当時から根本の部分で何ら進歩がなく、変わり映えしていないのです。

システムや技術の改革より根性を重視するのも進歩してないね。

【オワコン】学歴社会の断末魔が聞こえる。

電探の開発の遅れと神風信仰で負けたことから何も学んでないんだな

戦闘機についてはゼロ戦が連合軍機よりもはるかに勝る機動性をもって無双の活躍をしましたが、戦車だとアメリカのM3軽戦車のほうがチハ(中戦車)よりも頑丈な上、チハは機関銃でもスポスポ抜かれる装甲車両でした。

さらに、軍艦も大戦末期になってくると金剛型高速戦艦の優位性も消失し、かつ電探を活用されて一方的に視界を取られる戦いを強いられたものの日本は大和魂でカバーする方針を取り、根性と特攻へ依存することをやめられずにいました。

資源不足という背景もあったことから技術革新や戦線の維持と両立しながらの量産技術の確立が難しかったことも理解できますが、それでも引き際を考えることくらいはできたのではないかと思えてなりません。

では、現代の日本企業はどのようにビジネスの世界を戦っているかといえば、ブラック企業という一言ですべてが片付くほど変わり映えしないやり方で今も日本人は社畜として浪費されているのです。

仮に中国と鉄砲玉(ワン・ウェイ・チケット的な意味で)の撃ち合いをすれば人的資源の大きさでは勝つことはできないのに。

最初から一騎当千が求められるような状況に突入することほど頭の悪い話はないのですが、事業採算性の悪い事業から撤退で気ないようなブラック企業経営者には馬の耳に念仏でしょう。

まとめ
戦いは数だよアニキ。 それをカバーできるだけの圧倒的な技術的な優位性(ビグ・ザム的な意味で)でもあるのかよ?
 

嫌がることを無理強いさせるやり方が全く進歩していない

苦行に甘んじて批判ばっかしてる人間がオワコンな理由

モチベーションの起こし方を勉強なさい。 脳筋でなければどれだけ自分の考えが野蛮なのかがよくわかるはずだから

恐怖や義務感、罪悪感に根差した無理強いによって人を動かすには限界があります。

>無理などは一時的なその場しのぎに過ぎず、長続きなんてしません。

無理をすることなく勝つための戦術や戦略を考案して実行し続ける必要があるのです。

にもかかわらず、「上官の命令は陛下の命令じゃ!」「命令違反は非国民!」と叫んでいた戦時中と現在の日本のブラック企業はその点で何ら変わり映えもなく進歩のしの字もない状況にあります。

家庭教育ですら「自分が嫌がることは人も嫌がることだから、自分が進んでやることこそ儲けになるのだよ」なんて雑きわまりないことを我が子に吹聴し、意のままにならぬ時は怒鳴りつける有様ですからね。

多くの日本企業の経営者は、従業員を苦しめることが会社の利益につながると考えていますが、従業員が必ず苦しまなくてはならないという状況下では事業採算性に難があるといっていいでしょう。

それよりも、会社の利益を上げたいのか従業員を拷問にかけて苦悶に顔を歪める様が見たいだけなのかをはっきりさせる必要があるでしょう。

まとめ
人を痛めつけるのが楽しくて拷問したいだけなら拷問吏を目指せばいいのに(真顔)
 

おわりに

根性に劣るケニア人ランナーが根性をカンストしてる日本人ランナーに圧勝してる現実を受け入れろ

苦行を奨励、礼賛することでぼくらはこれから何を得られるというのでしょう。

才能の芽を摘んで強制的に均質化したアンデッド兵みたいな社畜軍団にできることはすでに限界を迎えてるといっても言い過ぎではないと思うのですがいかがでしょう?

突っ張れば何でもできるなんてそれこそ夢物語以外の何物でもありません。

ケニア人ランナーが「好き」を基軸に才を伸ばして苦行レスで取り組み、日本人ランナーが拷問にも近い量の練習と苦行を重ねてもケニア人ランナーに勝てない現実はそれを如実に教えてくれている気しかしませんね。

ぼくらは根性や意志力に依存するのをやめ、多様なベクトルを認め、試行錯誤することをやめてはいけないのです。

すぽんさーどりんく


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