泣いて解決するの?喚いて解決するの?同情が気持ちいい?そんな無駄、とっととやめちまえ!
「~するのはやめてくれ」「~しないべきだ!」と声高に叫び、自分の意見をメッセや匿名質問箱を使って押し付けずにはいられない人は実に多い。
けど、狩りに押し付けた意見が通り、溜飲が一時的に下がったとして心の底から根本的にすっきりするものでしょうか?
[speech_bubble type=”fb” subtype=”L1″ icon=”tomoko.jpg” name=”てーとく”]取り下げるなら最初からいうなや!ダボが!(ケッ)[/speech_bubble]、という具合に結局のところ腹立たしさは収まらないのでは?
なぜ、量産型の人たちはこうにもハンパな中傷を止めることができないのでしょう?という素朴な疑問に向き合ってみることにしました。
[outline] [su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]目の前の課題を始末する以上に大切な問題があるか?
同意しかない。
その場しのぎでしかないですし、やる意義を感じられないですね(^◇^;) https://t.co/ZI5CXavPg4
— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2018年2月13日
地獄の果てまで課題は人を苦しめ続ける。
なぜ、自分は苦しい思いをし続け、涙目にならなくてはならないのか。
その程度の疑問はちゃんと自問自答すれば自動的に最適な解が導き出されるものです。
単純に、解決すべき課題が解決できないまま存在し、走っても04影みたいにぴったりくっついてくるからです。
解決する方法は病巣を撃破するか死ぬ以外に道はありません。
それなのになぜか人は他人の同情を買おうとして無駄足を踏みます。
ぼくにはわかりません。
なぜ人は、他人の理解や同情を買うことを問題解決よりも優先してしまうのかを。
泣きわめこうが激おこしようが
腹立たしいと感じた時は全力投球で怒ればいい。
悲しいと感じた時は全力投球で泣き喚けばいい。
一人きりで。
その虚しさを知るたびに言動は洗練され、合理的に修正されていく
— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2018年2月5日
有効な手段でない限り、時間の無駄でしかない
そのことを悟るために最適な答えとして「ひとりぼっちで」泣いたり怒ったりといった「誰かの同情を買う」所作を心行くまでやることをオススメしたわけです。
そうすると「課題の撃破なくして苦しみを除くことは不可能だ」という真実を悟ることができます。
同情や憐み、理解を得て一時的に満足したところで所詮は問題の解決を先送りしたに過ぎません。
しかも同上や憐みを求める人ほど根本解決を目論むどころか再び同情を買おうとし、成長の無い無限ループに溺れるだけですからね。
半端な優しさや同情がかえって他人を苦しめる、というのは得てしてこういう構図によって起こるわけなんです。
同時にこんな面白いことにも気づくことができます。
「多くの量産型の人々」はヤク中並に学習能力がない、ということにもね。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 学習能力があれば、薬物中毒者でもなければ無限ループという名の袋小路は自力で抜け出せる[/su_box]
人間を救うことができるのはテメーの脳みそだけだ
自灯明・法灯明というブッダのことばもこのように解釈できる
ブッダの教えに依存するばかりの人間になるな。という気持ちが自灯明を法灯明より先に唱えているのではないでしょうか。
いくらブッダの法が強靭であろうとそれを活かそうとする人間そのものが軟弱なままで進歩が無ければ使いこなせない、と読み取れば納得がいきますね。
有名RPGで言えばファイアやイオを使うとMPが半分吹き飛んでしまうLv1の魔道士がイオナズンやメテオなんて唱えられないのと同じです。
いくら目の前に強い魔導書が転がっていようとも使う資質や能力がなければただの紙束に過ぎませんよね?
それに、装備していて使える状態になってもマスターしなければそれは本物の強さじゃありませんからね。
誤売却でもしてしまえば使えないのと同じ状況に陥るわけですから(笑)
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 良い道具を生かすだけの資質と能力、学習以上に目の前の言葉の束が価値を持つことは無い[/su_box]
他人の助太刀は50:50
どのように自分を救ったのか、を理解できるか否かにかかっている
学習能力次第という状況が「他人の助太刀」で目の前の課題を撃退した場合ですね。
助太刀に感謝するのは当然ですが、それを頼みにするばかりでは再び同じ課題に遭遇して悶々とさせられるのは目に見えています。
それこそ、「金の無心ばかりする大人になったわが子」は助太刀を頼みにするばかりで彼ら自身のスキルアップや工夫をやめてしまった例、というわけです。
スキルアップや工夫をする者は助太刀されている間でも自分の頭をフルに使います。
自分の課題を始末できる強い外護者抜きに何もできない状況というのは外護者の自己満足以外に何も存在しない解決方法であることを知っているからです。
彼らが世を去れば年老いた状態で同じ課題に0から立ち向かわなくてはならなくなることを意味することも。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 一番若い「今」、始末するつもりで取り組む以上に大切なことは無い[/su_box]
おわりに
もし、ストレスフルな環境に放り込まれたら。
一に戦況分析を行い、アウトラインを把握。
二に問題の病巣を特定。
三に病巣の駆逐を目論んだ戦略を練り、実行。
根本原因の駆逐がなされない限り同じ悩みを相手に永遠に悩まされることになる。
その場凌ぎは戦術上必要最低限で十分。
— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2018年2月13日
理解して貰ったらそれで解決したのか?
理解者がいることは確かにありがたいことです。
ですが、課題が片付かない事実もまた確かに字面通りの意味で在り難いモノであってほしいと願うくらい辛い。
泣こうが喚こうがホッとしようが変わらない事実を認識しないことが問題を余計にややこしくしている、という事実を理解しないことには何も始まりません。
もし、「袋小路同然のある課題に悩まされ、理解者は大勢いるけど問題がなかなか解決しない」
というお悩みをお持ちの方は一度、自分を顧みてみてはいかがでしょう?
年老いて本当に解決できない問題になってしまう前に。
ちな、中傷を辞めたい人が根本解決する方法は2つあります。
ムカつく人間を三族皆殺しにするか、ブロックやミュートで特定の人物の発言に対して耳や目をふさぐ形をとるかという二通りの手法です。
[su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#ff4500″] [/su_box]