日本の中小零細の跡継ぎ問題とから見る一族経営ブラック問題

中小零細は継ぎ手もなければ金もない。将来性も。

全ての中小零細企業がそうだとは言いませんが、多くはそのような状況に追い込まれています。

商店街の個人商店が大型郊外型スーパーマーケットに押しつぶされるかのように。

後継者問題を中心とした中小零細企業の抱える問題について中小零細企業の継承権利を持っているぼくの視点からお話しすることにいたします。

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「一族経営の会社を貰える」のは吉事か凶事か

ビジネスセンスと事業と前社長次第(真顔)

ぼく自身、実のところ一族経営の会社を引き継ぐことができる立場にある人間です。

察しは何となくつくと思いますが、ぼくにとっては凶事ですね。

でなければブログで人生を立て直したい、などと言って実行に移すことはしませんよ。

ぼくというリアル血縁者が継承に首を縦に振るか否かを判断する条件は3つ。

第一に、無視しがたい現社長の残した空気、姿勢、従業員、空気、歴史。

第二に、従業員の年齢。 第三に設備状況と顧客、現事業の将来性といったところでしょうか。

事業継承というものはリレー小説のバトンを渡されるようなもので、世界観を破壊しないようにかつ面白味を追求する姿勢も要求されますから慎重にもなる。

それらのことを総合的に考えた結果、環境的要因による制約が多すぎるのは性格上も向いてない。

ゆえに「凶事」と判断するわけです。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 会社が負債になる前に勉強をして最大限の手を尽くさないから継ぎ手のいない会社となる
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初代の「帝王学」が継承されていない第二の世継ぎ問題

わが血族では3代ぶんもたなかった

こういう立場に生まれると江戸幕府を約200年間15代まで生き永らえさせた徳川家康って半端じゃないな、と心の底から思いますよ。

さて、帝王学という言葉は10年も生きていれば1度くらいは聞く言葉でしょう。

世襲貴族のような家はどの家にも初代の人間が「成功哲学」というものを確立し、代々血縁の者に受け継がせ、家を発展させていきました。

その成功哲学こそ帝王学なのです。

帝王学というものは大学で習うものではなく、リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ(シータ・天空の城ラピュタ)のように生活の知恵の一部として学ぶもの。

問題は、その帝王学が継承されてなかったり元々ない状態で会社だけをバトンタッチする形になること。

このような状況に陥ると会社も乱れ、世継ぎにふさわしい人材が血縁者にいないことに頭を抱えることになる。

凡人をトップに据えるしかなかった我が家のようにね。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 帝王学の確立や継承教育の失敗と会社の負債化が「一族経営ブラック企業問題」を誘発する
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凡人が経営権や所有権をもってはいけない理由

学校は社畜製造施設である

銀行の審査と公教育による俗物的価値観への傾倒が引き起こした問題

凡人とは、多数派であり大衆のことを足します。

日本の凡人とは社畜のこと。

考える機能を排除され、誰かの言うことを聞くことしか能がない「指示待ち」を本質とする社畜なのです。

凡人経営者が率いる日本の会社とは、人に使われることには長けていても人を動かす能力が0に近い状態の人間の集合体でしかないのです。

それこそ、下っ端の能力に依存して神風を祈るばかりで司令部としての無能ぶりをひけらかして特攻ばかり指示して惨敗した旧日本軍の体質のように。

そんなわけで、強固な主体性を抜きにして資本主義を日本で生きることは不可能なことは歴史がすでに証明していますね。

よって、21世紀の会社経営者や一匹オオカミは常識を知りつつ常識に盲従せずに悪用できる資質が必要となります。

 

古い慣習に盲従する銀行と金銭教育の乏しさ

20世紀型社会の教義(ドグマ)を盲従しているのが銀行、といっても言い過ぎではないでしょう。

生涯サラリーマンを前提とした35年ローンがいまだに健在で、ドーナツ化現象下の学校のように統廃合を繰り返してすらいますからね。

債務関連の基準も血脈に依存する姿勢を日本の金融業界は未だに崩していないことからも伺えます。

とはいえ、第三者への継承も難しい。

その第三者が一般的な一族経営だった会社を譲り受けるとは、会社が抱える債務を一身に背負うことにもなりますからね。

初動の大型投資でこさえ、そこから増資を引き出して膨らませた負債はサラ金地獄で首を吊る社畜がこさえるものとは規模がダンチで違います。

たとえ本人が前向きに考えようとビジネスを知らない第三者の奥様や一族は額の大きさを前に腰を抜かして驚き、猛烈に反対を進言するのは火を見るより明らか。

金銭教育の不足と、貧しい人が貧しいまま暴動を起こさないでいてくれるため清貧を正義や理想とする道徳教育が招いた弊害とも言えるでしょう。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 空気の入れ替えという難工事を実施・完遂できなくては問題解決はあり得ない。
それを国が助けることも考えないと廃業ラッシュは収まらない
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一族ワンマン社長の会社がブラックになる理由

【東芝】大企業勤務のリーマン家庭が考える力ゼロな件www

金銭の道理を知らず、「人に使われる」凡人でしかないから

もちろん、その構造的欠陥を見抜いって凡人から解脱し、新しい帝王学を構築・履行して社内改革を成功させた幸運な例外はあります。

ですが、幸運であり例外という範囲を出ないのは圧倒的に2代目や3代目が凡人であり、凡人という枠を超えて社長業をできないから。

日本の凡人ほど組織を引っ張るのに不向きな人種はありませんからね。

ゆえにどれだけ手間がかかろうと帝王学の構築と継承なくして一族経営会社の長久なる存続はあり得ないのです。

凡人の統治によって発生する会社の食いつぶしによって新規採用の停止と高齢化が起こり、その影響を受ける社風が事業採算性の追求を阻害します。

齢をとるほど人は昭和的なものを好み、新しいものを嫌いますから、彼らの支持を得ようと思うと改革断行のリスクも大きいですからね。

そうなると価格競争への埋没を強いられ、意志力の浪費とサビ残を強いて人間そのものを浪費する道をたどるしかなくなります。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 一族経営のブラック企業化は一族衆の衆愚化という経営一族の教育の失敗によって起こる
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おわりに

量産型ザク!日本の社会人・日本の学生

今どきの中小零細一族は凡人そのもの

親が会社をやっていても、親世代はモーレツ世代信仰の中で生き、その路線を踏襲しているため、帝王学の継承というものに時間を割くことができなかった。

教育は公教育に任せておけばよいとばかりに公教育に巨額の資金を投じて子息を社畜にした世代がぼくらの親世代というわけです。

ぼくの一族も代を経るごとに貧相になっていきました。

凡人という枠を自力で打ち破っても年齢や社風という壁に立ち向かうのは気が引けます。

年齢と経験値の多さを誇りにしてる人たちをないがしろにし、無用な混乱を起こすことも得策ではありませんからね。

かといって現状維持を続けるための傀儡になるつもりもない。

だからぼくは会社を継げと言われても遠慮したい。

無駄な苦悩を背負って現状維持するしか選択肢のない袋小路に追い込まれ、古い層の代謝を待つことがいい選択とは思えないから。

すぽんさーどりんく


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