20世紀・昭和という名のありもしない絶対を盲信している
東芝をはじめとするブラック企業体質企業はオワコンでしかない。
なぜなら、人間を合法的に拷問死させる以外に昭和の価値観をもってブラックな運用をする理由が何一つ見つからないからです。
目先の数字は良好でも、末期(まつご)を考えれば実に血なまぐさく、目先の数字さえ維持できない地獄しか見えませんからね。
昭和の価値観を引きずる限り人にも企業にも未来はない。
そう確信するに至った理由をお話ししましょう。
【日本人の三種の神器1】義務という神による絶対の言葉
考えないブラック人間や企業ほど義務という言葉を使う
義務という言葉に日本人は戊辰戦争時代における菊の御紋と同じものを見ているのではないかと言う仮説をぼくは持っています。
義務と言われれば日本人の多くは報いがあろうとなかろうと考える暇なしに二つ返事でそれを遂行します。
例えば、「架空の支払い義務」をメールやはがきで送りつける架空請求詐欺に未だ引っかかる人がいてその手口を使う犯人が存在していますし、
他人を批判したり非難する時も「権利を主張するならまず義務を果たせよ!」と言う言葉で詰めますよね?
義務は日本人が信仰するほど万能なのか?
そう聞かれれば「残念ながら、義務というのはそこまで万能なものではありません。」とぼくなら答えます。
現実は現代もそうですし、歴史すらその欠陥をすでに証明しています。
例えば国や自治体から出される法律や条令による規制条項をぼくらは守る義務を負っています。
違反した場合、何らかの制裁を食らって不利益を被りますし、抑止力が不足すれば厳罰化しますよね?
それでも飲酒運転やシートベルト違反は少数ながら頑なに違反する人々はいまだに存在します。
ネトゲで暴言を何度も運営から諌められてもやめられず、BANされるまで暴言を継続する事例があることもその証拠ですね。
さらに中世の英国までさかのぼっても市街地への汚物の不法投棄は何度も禁じられました
が、絶対権力のバッキンガム宮殿から出たお触れでさえ救済策なき義務は果たされることは無く形骸化するばかりでした。
義務は守れと言うばかりのブラック企業が思考停止人間で構成されていて、彼らが信じる通りの持続性と成長が無いのはその裏付けでしょう。
もうすでに欠陥が証明されているものを未だに万能だと信じ込むなんてどれほど学習能力が無いのだろうと呆れるほかありません。
【日本人の三種の神器2】責任感という沽券にかかわる(?)要素
そんなものは意識高い系をマリオネットに仕立てるための詭弁だ
「責任感の無い」と非難されて腹を立てる人は多いでしょう。
無責任な言動をすると不謹慎厨がリアルかネットか問わずに湧いてきて責任追及をこぞって始めますからね。
政治関連のニュースでもしょうもない話題でさえ「責任を追及する」という言葉がマフィアが拳銃を抜くよりも早く飛び出す有様ですからね。
ブラックさに定評のある日本企業の多くは、従業員を指導する時、責任感というものをゴリゴリ押し付けてきます。
支配を徹底するため、無責任となじられるものが悲惨な目に遭うのを見せつけて恐怖で支配しようと目論むのです。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 沽券なんてどうでもよくね? そんなものにしがみついても潰されるし、潰したらまた次のを用立てなきゃいけない。[/su_box]
【日本人の三種の神器3】ノルマという絶対的(?)成長の絶対的(?)な約束
ノルマへの信仰とは裏腹に毛沢東らがすでに重大な欠陥を証明している
少し前にノルマについての盲信を指摘した記事を書きました。
日本人が思っている以上にノルマは万能ではなく、重大な欠陥すら抱えていることは歴史がすでに証明してるんですよ。
もし、ノルマが万能であればソヴィエトは現存し、とうの昔にアメリカを凌駕していますし、中国はその上を行ってますからね。
もっとも、そんな世の中が来ることはまずありえません。
仮に到来しても世界人口60億人の9割は錯乱者となり、世界中の閉鎖病棟と刑務所はパンク。
政治も経済も軍事も破たんし、文明は崩壊しているでしょうから。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 世界規模の鬼ヶ淵沼伝説という色んな意味であり得ない結末を回避できない「ノルマ至上主義」は信仰する意味がない[/su_box]
義務・責任・ノルマは持続可能性のない昭和の遺物だ
戦後復興から高度成長期で、それだけアガる材料が揃っていたに過ぎない
ノルマや義務感、責任が万能だったから今の日本があったわけではありません。
適切なタイミングで適切なイノベーションを遂行することができ、朝鮮戦争やオリンピックといった好機もたくさん到来しました。
新幹線の開発など、工業技術的な伸びしろと消費層の伸びしろも大きかった「タイミング」の問題も無視できません。
「昔はよく首をかけて上に啖呵を切った情熱的な労働者がたくさんいてだな」と美談を語る高齢労働者は多い。
ですが、今より挽回できるチャンスもあったし今よりもイケイケで失敗者に寛容(相対的に)な空気もあったから可能だったとも言えます。
もっとも、今でもチャンスはありますが、就職してから勉強すること自体を辞めてしまったらそれは絶対見えない物になっています。
失敗者を執拗かつ必要以上の熱量で叩く風潮もあり、失敗への恐怖が過度に増大した今の環境で昭和の再現は難しいでしょう。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 昭和の再現ではなく、今という環境にあった戦略と戦術を使う以上の有効策はこの地上に存在しない[/su_box]
おわりに
三種の神器が昭和の遺物ならブラック企業も昭和の遺物だ
この三段論法はあまりに濃密すぎますね。
ブラック企業が成長するどころか死以外の何も残さないことはブラック化し尽くした東芝が証明していますからね。
日本を支える万能の価値観だと多くの人が思い込んでいる昭和の価値観はオワコンになったことを東芝は証明したのです。
東芝ショックが歴史の1ページとなり、東芝がスポンサーを務めていたサザエさんをAmazonが三大スポンサーの一角として継いだのもまたそうであるように。
東芝がブラック企業論理を詰め込んで突っ張った末に空中分解した歴史をぼくらは未来を作るために活かせるのでしょうか。
それともまだまだ歴史は繰り返すのでしょうか。
ただ一つ言えることは学んだ人間が勝つと言うことだけです。
斃れた東芝のオフィスには考えない人だけが腸詰ウインナーの中身みたいに固まっていたのですから
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