・アルスノヴァモードのイオナでできないことをしれっと要求するクレイジーな常識
[outline] [su_box title=”あわせてよみたい” style=”soft” box_color=”#00a3af”] [/su_box]恋愛・結婚・子育てを全部やるバグゲーみたいな「当たり前」
恋愛は快楽
結婚は経営
子育ては実験
子育てはぼく独自の価値観が理由なんですが、恋愛と結婚は全然別の仕事。
恋愛みたいなキラキラ重視ではなく実用的な価値観こそが奨励される世界ですからね。
— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2018年3月15日
それってさ、航空戦艦に魚雷まで発射させるようなモンやぞ?
ぼくは恋愛と結婚の違いについて「彼氏と旦那の違い」というテーマで記事を書いています。
海軍艦艇で例えるなら、航空戦艦に駆逐艦の機能し、水上機ではない艦載機を離発着させ、潜水もこなせよと要求するようなものです。
夕張も真っ青な無茶ぶり要求です。
41cm砲を装備し、航空機を飛ばし、酸素魚雷を打って金剛ばりの速さで航行しろとか無茶もいいところですよ。
現代の自衛隊の艦艇だってミサイルを装備することで火力を手法に依存することはなくなりましたが、それでも空母型と通常の水上艦艇、潜水艦にしっかり分けられています。
違う種類の任務にはそれぞれ適した艦艇が宛がわれているのですから、人間の生活ももっとそうあった方が合理的です。
アルス・ノヴァモードの霧の潜水艦でもできないような無茶な要求が当たり前になっている現代日本はクレイジーでないはずがないのですよ
恋愛と結婚が違いすぎるンゴ
旦那だけでなく女性だって変わらなくてはならない苦しみを背負う
例えばクルマひとつについても違いは大きく出るものです。
レクサスやBMWが好まれだすのに結婚後は同じ女性がセレナやSTEPDQN、軽自動車でないと納得しなくなるとかいう豹変ぶりを見せるのですからね。
例えば、とは先ほど言いましたが、経営という共同体に「変わった」ことを嫌でも認識させられる瞬間の代表格は車選びでしょう。
要求する嫁だって本当は恋人時代に乗ってたようなのに乗ってほしいと思うところを極めてシビアな現実を目の前にして、旦那の車選びに自分の好みをねじ伏せてまでも意見することを強いられるわけですから。
仕事と家庭について男性と女性の役割が固定化されているかのような認識だってそうです。
子育てや家事スキルに長けたものが旦那で、仕事がバリバリできる嫁という組み合わせであっても逆であらなくてはならないジレンマに家庭も労働市場も長らくの間苦しんできました。
市場・産業の合理化を真に願うなら男女の垣根など必要ないのです。
潜水艦に戦艦の役割をさせるような無茶を当然というような常識など糞くらえだと叫んでやるのです!
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] 航空戦艦というものもWW2にはあったけど兼任できる仕事は限界がある。それは人間も変わらないと考える方が自然じゃね?
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子育てという人材育成を不合理が捻じ曲げると貧困が生まれる
ぼくの思う「子育て=実験」とは、
前例主義的な子育てのムダを徹底排除して合理性を重んじて育てれば我が子は凡百を抜く存在になれるだろう。
、という仮説を検証するための実験。
— 重オタクリア充とも提督 (@tomo3000sf) 2018年3月15日
子育ては人材を育てる作業
人間を教育し、時代の我が家を背負う人材を育成する作業が子育てです。
結婚し、家庭を運営するのは数字を見ながら空気を作る経営者の仕事ですが、そこに子育てが入ると今度は人材育成という別の仕事が舞い込むことになります。
ちょっと大きな企業なら人事部という非生産部門が存在し、人事に関する仕事を引き受けますが、小さすぎるとそうはいきません。
中小零細が人材育成について杜撰になりがちな理由は右も左もわからない者にOJTばかりさせて、社長も重役も平も関係なくプレイヤーとしてバタバタと働いているから。
現代日本の家庭はまさに中小零細企業とそう変わらない状況にあるという認識でいいでしょう。
しかも昭和と違って共働きでないと家庭経営が成り立たないという認識が当たり前になってきているくらい日本の経済は衰弱しているから子育ては余計におざなりになっています。
その中で若者は昭和の常識を守るかのように振るまうことを強いられているので、老人ホームに親を放り込むかのように保育園へ子供に放り込まなくてはいけない世帯が大量に増えました。
当然、スーパーに子供を連れていく習慣を改めるなんて発想すらわいてこないくらいに多忙なので、量産型に本陣の世帯では子育てという作業にイノベーションが生まれる余地はないでしょう。
子育ては実験
ぼくはブログという個人メディアを運営し、小さく商いをしています。
もし、昭和と同じように怒鳴り散らしながら子供を育て、忙しさゆえにスーパーへ子供を連れていき、テレビにお守をさせるようなやり方以上に結果を出せる新常識を打ち立て、体系的にまとめることができたなら、その時にもまた商機が生まれると考えています。
昭和から脈々と受け継がれてきた伝統的な子育ては産業時代である20世紀に最適化した量産型日本人の作り方の一部分です。
ただ、21世紀以降は政治も経済も稼ぎ方も在り方がめまぐるしく変化しますし、むしろ現在進行形で変わりつつあります。
100年以上も前の世相に最適化されたやり方を引きずるのはスマートではないので、伝統を取っ払った新しいやり方をぼくは開発したい。
自分たちが老いた後の一族を経営していくために必要な改革を成功させ、その恩恵を知識として世に出して晩年の商機にする計画です。
また、面倒な仕事を抱えるのではなく、遊びとして向きあうつもりです。
だって、実験って面白いものでしょう?
[su_box title=”まとめ” style=”soft” box_color=”#000080″] だからぼくにとっては「実験」[/su_box]
おわりに
霧の艦艇や現代の艦艇でできないことを人間が担うべきではない
ぼくは新しい常識づくりという枠に子育てを組み入れましたが、みんなが子供好きというわけではありません。
男だけでなく、女性にも子供を疎ましいと思う人はいます。
シングルマザーの苦悩も子供を守ると決意した自分と家庭運営要員を増やしたいという葛藤や世間から低く見られがちな状況と戦わなくてはならないのですから。
昭和を先ほどはこき下ろしましたが、「子供は地域で育てる」という共通認識が生きていたことについては復活すべきだと思えるくらい素晴らしい常識だと思っています。
地域で一番子育てが上手く、子供を預かってくれと近所の人にいわれる様なオトンになるのがささやかな夢の一つだったりします。
実験サンプルも増えますからね♪
そして、「地域で育てる」というう合理的な昭和の遺産復活には地道な草の根的な活動も必要でしょう。
得意で好きなものがそれぞれの業務を担当するというあり方こそが理想です。
何でもかんでも兼務すべきというバカな考えが恋愛から子育てまでの一つの筋道にあることをぼくらは認識するべきです。
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