迷惑行為条例で裁きにく過ぎる善意という名の迷惑行為、なんとかならないの?
考えなしに実行される善意や気遣いは理由のない悪意と変わらない。
本当にその通りだと思います。
何せ、当のぼく自身が最近、頭を抱えていることですから。
悩み、ではなく「頭を抱えている」と表現したのは結局のところ、諦めるのが最も妥当であると言う結論が出てしまっているから。
相手の年齢や状況、背景、自分について知っているであろう情報を考えると想像力を求めるのが難しく、相手もそうしないと落ち着かないとわかっているから。
ぼくのように頭を抱えなくてはならない人が一人でも少なくなれば、と思ったので「善意」とその「押しつけ」について記事を1本作製することにしました。
誰かに善意を贈る前にご一読頂き、その上で判断をしてせっかく贈る善意が恨みになって返ってこないようにして頂ければ幸いです。
[outline] [su_box title=”あわせて読みたい!” style=”glass” box_color=”#bbc8e6″] [/su_box]もし、善意で隣人から何の前フリもなしに宅配ピザを贈られたら
ネットなら先払いで出来てしまうわけだが、される側の立場になったら?
ぼくなら全力でガクブルですよ(((( ;゚Д゚)))
状況によっては嫌がらせだと取ります。
そもそも、頼んだ記憶も情報もないからピザテロなんじゃね?と疑って掛かりますよ。
それでも「押し付けかもしれないけどさ、せっかくピザ貰えたんだからありがたく受け取りなよ?」と言う人は多いでしょうが。
もし、厳格な食事管理をしてるのにピザという横やりが入ってきたら善意であっても虫唾が走りますよね?
もし、たらふく二郎系を食った後にピザがやって来たらたとえ善意であろうと「殺す気か!」ってなるじゃないですか。
そもそも、ピザとか有難迷惑ですし、もし受け取らなかったらお店も持ってきてくれた配達員さんも悲しいしピザも廃棄になって無駄になる。
これが、因果関係までしっかり考えられない人は善意なんて贈るべきではない理由なんです。
原理原則に忠実でないバカの善意は迷惑でしかない
善意が持つ市民権は他人の胃に穴をあけるほど強大な力があると知れ
もし善意の結果、恩を仇で返されたうえに泥沼の紛争になっても、最終的に善意だと言うことを立証できればたくさんの第三者から擁護して貰えるでしょう。
ただし、原因と結果だけを見れば善意を贈る人間は喜んでいないですよね?
その時点で、善意という言葉や行動の意味が破たんしてるのですが多くの第三者は倫理や道徳に従い、善意と言うだけで施した側の味方になる。
んで結果的に裏目になって、相手は余計に辛い思いを善意ごと押し付けることになるのです。
それでもバカは「正しい」と言うお墨付きを第三者から得れば失敗を認識して学ぶどころか調子に乗って再び悪意と変わらない善意をバラ撒きつづける。
これが、原理原則に忠実でないバカに善意を配らせてはいけない理由なのです。
[su_box title=”バカに善意を扱わせてはいけない理由” style=”glass” box_color=”#000080″]-
- 因果関係を考えないから悪意と変わらぬ善意を押し付ける
-
- 善意だからというだけで道徳や倫理と第三者が味方する
- 失敗を認知せず、学ぶことなく同じことを繰り返す=二次災害をばら撒く
善意を施す時に気をつけたいこと
「地獄への道は善意で舗装されている」という基本を理解すればできる事ですよ!
まず、見返りを期待しない
善意の施しが感謝どころか紛争を招く一番典型的なパターンが「見返りを期待」するというやつです。
感謝されるどころか仇になってしまうと言うことを知らないアホが押しつけに走った為に陥る一番多い事故だと知りましょう。
次に、相手が喜ばなければ失敗だと弁える・
何のための善意か、という最も基本的な原理原則を弁えていれば見返りを期待したり無理に押し付けるような愚は犯さないもの。
善意がもたらす苦しみに「自分も縛られない為のレジスト機能としても役立つ」姿勢なので積極的に身につけたいですね
最後に、相手の状況を詳細に考え、やったことが引き起こす結果について多角的に考えた上で判断を下すこと。
あくまで善意とは100%相手のためにならなければならないので、施す前に相手の害になりにくい方法を模索し、慎重を期す必要アリです!
強引に押しつけないと受け取ってもらえないとか普通に不合格通知に等しいのですよ(笑)
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 地獄への道に向かって「どストレートに」舗装されているものという前提を知らない限り善意は正しく機能しない[/su_box]
焦った為にせっかくの善意が迷惑になるのを防ぐために
原理原則に忠実に動き、善意という原型を死守できるよう工夫しよう!
例えば、接待を受けたらどんなひどい内容でもビジターは喜んだポーズをとり、心にもない感謝の言葉を述べなくてはなりません。
これによって発展した業界も確かに存在しますが、押し付けさえ肯定されるあたり原理原則に忠実とは言えない。
倫理や道徳、慣習は決して万能ではないと知らない人間が多すぎるために色んな事象が原理原則から外れて暴走し、要らぬ誤解の種になっています。
事実、罪悪感を感謝や御礼という言葉で偽装したり心にもない謝罪の態度と言葉が跳梁跋扈していますからね。
先に出した「押し売りの善意の例」でも出しましたが、倫理や道徳が悪意同然になった善意の施しを肯定さえするわけです。
これを防ぐために原理原則に忠実である必要性を学び、言動をシンプル化して罪悪感に干渉して迷惑行為に化けないよう計らう必要があります。
それを実現するのに多くの日本人の頭脳はあまりに勉強が足りない。
無駄な苦痛を産まないためにも善意でやると決めたなら可能な限り善意という原型が止まるよう努力・配慮する義務があると心得て損はないでしょう。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 人からハイヨロコンデー、を考えさせず引き出し続けた結果、悪意に等しい善意が量産されたんじゃね?[/su_box]
おわりに
自分の頭で考える機能を倫理や道徳に代替させるから迷惑な善意が量産される
倫理や道徳は本来、人間関係を円滑にするために存在する概念ですが、あまりに杓子定規な使われ方をしているせいで副作用も出してますね。
にもかかわらず、完全なものだと思い込んだ多くの人々は自分の頭で考えることをやめ、倫理や道徳を使って人を裁いています。
そうした振舞いが過度に一般化されたせいで考えないバカだらけになり、因果論を無視した善意の押しつけに走る個体が増殖したのではないかと。
ここで改めて提言したい。
悪意や迷惑行為、押し売りのセールスや強引なねずみ講などへの勧誘に等しい善意をバラ撒かないためにも今一度自分の頭というやつを起動させませんか?と。
[su_box title=”あわせて読みたい!(道徳・倫理)” style=”glass” box_color=”#bbc8e6″] [/su_box]