【悲報・歴史は繰り返す】モラルやルールに依存する教育のリアル

叩けばおk?自制心の問題?この間抜けどもめ。ある事故が論破してくれおったわ!

「自制心やモラルでは人の欲には勝てない」が持論の継続の達人、重オタクリア充、とも提督です。

人間の欲の強さとモラルや自制心の弱さについてぼくはダイエットやブログを継続する日々の中で嫌というほど学びました。

モラルやマナー遵守の心、自制心が低下しただの教育が足りないだのいろんな言葉が日々を過ごすだけでたくさん聞こえてきます。

ですが、ぼくはこの類の指摘は実に間抜けであると心から思うのです。

モラルや自制心、根性といったものは過大評価を受けていると道路の環境や無免運転者による交通事故の報道なんかがそれを雄弁に語っているのですから。

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歴史に学ぶ賢者がいないから歴史は繰り返す

【歴史は繰り返す】無免少年による亀岡暴走事故、消費されて風化

18年7月1日、無免運転の中学生が家族の車を盗み、中央分離帯に衝突。 死者1名4名が重傷という大惨事を引き起こした。

無免運転による重大事故として6年前の亀岡の暴走事故は記憶に新しいハズでしたがその教訓と歴史は残念ながら生かされなかった模様。

ぼくら日本人がたった6年で歴史を繰り返すほど愚かだと証明された瞬間だと言えますね。

ニュースサイトの投稿には所持者と運転者を罵倒する言葉、厳罰を求める声などが相次いでいます。

けどさ、よく考えてみ?

亀岡の事故は確かに6年前ですが他の重大過失が報道される度にぼくらは何度となく見た、見慣れ過ぎた光景ではないか、とは思えないでしょうか?

モラル・マナー・ルール・自制心・教育は無力

人の欲は簡単にモラルや自制心を凌駕する

ぼくは多くの人が挫折したダイエットを成功させ、多くの人がブログを2年以上継続しています。

継続は力なりと頭では分かっていても多くの人がやめてしまうことをどうして継続できるのか。

それは頑張らないから。

火事場にあったら窒息死か焼死するまでやるんじゃね?って思えるほど書くこと自体が楽しいと思うから続いてるだけなんです。

犬の調教と原理は同じで、人と一緒にいることが楽しい、仕事をこなすことが楽しいと刷り込むんです。

人間は犬の如き下等生物とは違うのだ!苦役でもやれるだろ!!では残念なほど結果を出せないのです。

人はどうしても横着をやめられません。

横断歩道を赤信号になっても渡る歩行者。
信号が変わっても右折を強行する車両。
無免は悪いとわかってても横着心や好奇心に負けて家族の車を盗むクソガキ。

それらの横着は止められないと何度もしつこく証明されているのにどうして根本解決をしないか?

それは明らかに、「日本人が考えることを手放した」人類とは呼べても人間とは呼べない生物の集合体だからに他ならないでしょう。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 叩けば直る。厳罰化で直る。
で、実際どうよ?今に始まった改善案じゃねぇだろうがよ?
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日本人の多くは自制心やモラルの高さに万能を感じている

モラルや自制心への過度の依存。それは日常の何気ない一幕が雄弁に語っている

日本人の歴史は繰り返すについて言及した記事は過去ログにもありますが、6年で再発は流石にひどい。

ですが、そうなって然るべきだと納得するには十分な材料が日本人の日常のやり取りの中にしっかりあるんですよね。

ぼくらは具体的な修正案を求めるべき場面で感情に流され、精神論に走り、理屈を言うと理屈じゃないと生唾を飛ばす。

しかし悲しいかな、改善というモノの本質を無視すれば何もできないと言うことを理解できてる日本人はあまりに少ない。

一昔前の勧善懲悪ものの特撮や漫画の熱血主人公と同じように「この手の理不尽は気合で何とかなる」と多くの者が盲信している。

そんなバカ者どもに残念な事実を淡々と告げましょう。
ゲンジツ見ようぜ!と。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] モラルで理屈で理屈を超えられたらもっと結果は違うんやで?
そんなこともわからない劣等人種が偉そうに吠えるな。
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政治は歴史を繰り返すのを止められないトロすぎるオワコン「政治」

歴史を繰り返す考えないバカがトップから下々まで蔓延しきっている証

オットー・フォン・ビスマルクは言いました。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ、と。

ですが、経験にすら学べない者は人間と呼ぶに値しないのでは?と思うんですよ。

ぼくの認識だと、考えるという機能を持たない、もしくはオミットした人々はホモ・サピエンスではあっても人間ではないと定義しています。

人間というのは考える葦です。
最も優れた武器が頭脳という考えることに特化した演算装置です。

それが宝の持ち腐れになっている存在を人間と呼ぶのはおかしいとは思いませんか?

国を率いる永田町の連中はモリカケとかに目がくらんで時間を浪費してる間に交通行政に手を入れることを怠りました。

もうね、安倍政権のみならず、野党も含めてあの中に人間って何人いるのかと問い詰めたい、小一時間問い詰めたい。

もっとも、人間と人間と呼べない下等人類が話したところで時間の無駄でしかないので、ネタに止めますけどね。

おわりに

予言する。歴史に学ぶ賢者のいないこの国でまた中学生が6年以内に重大事故を引き起こす

ぼくであろうとホリエモンであろうとキンコン西野氏であろうと誰が叫んだところで政治は再びモリカケの如き足の引っ張り合いに終始するでしょう。

下々もまた、叩けばおkな日々に戻り、結果を出せずに朽ちるだけの木偶として土に帰る宿命のために生み出され、散っていくでしょう。

そんなこんなで3年もすればこの事故は忘れられ、小中学生が進化しない車のステアリング握り、歴史を繰り返すのでしょうね。

そのときのぼくらも考える機能がやはり喪失していて、脳があって無い状態にあるので外野として欲望のままに反射的に叩くことしかできないでしょう。

そして何度も何度も歴史は繰り返すのでしょう。

人間であるだけで賢者。相対的に賢者

もし、周りを出し抜いてでも彼女作ったり人より稼ぐことを欲するなら

ちょっとでも差をつけてパッとした人生を欲するなら。

考える機能を失った周りの人々に同調するだけの人生をやめることを強く勧めたい。

そして、周りに蔑まれようとも人間として生きる人生にしがみつき、自分の頭で考えた答えをモラルやルールより重んじ、地道に実力をつけるのがよいでしょう。

周りには人間と呼ぶにはばかられるバカしかいないから「ただの人間である」だけで人は相対的に賢者になれるのですから。

自制心やモラルが弱いと知った上でしか有効な対策について試すことさえできない。

それすら実践できないバカばかりなら抜きんでるのは極めて簡単。

あとは良心とかいう過大評価されてる何かを捨て、もっと現実的かつシビアに生きようではありませんか。 人間として

すぽんさーどりんく


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