オマエモナー
貧しい人の口癖に「どいつもこいつも」があります。
そんなこと言う人ほど気づいてない。
すでに自分が「どいつもこいつも」の仲間であることを。
「どいつもこいつも」から抜け出すには「どいつもこいつも」と言わない生き方が必要になります。
「どいつもこいつも」とぼやく日々は良いものとは程遠い。
と、いうわけで「どいつもこいつも」について分析し、脱出方法を模索しようではありませんか。
ボヤいてまで我慢するほど重要な問題ではないのだから。
どいつもこいつもとは?
「お前は間違ってるが俺は正しい」
「正しさは絶対の正義」
「絶対の正義を盾にすれば何を言っても許される。」
そんな考えに毒されている人の言葉です。
そして、そんな人は「ケチな盗人である」と相場は決まってます。
正義の味方が盗人とは聞いてあきれますが、そもそも多くの人はgiveをしない盗人ばかり。
みんなクレクレしたり、他人を罵倒して感謝をカツアゲしたりしてますよね。
そう。 「どいつもこいつも」は当然のように山手線みたいに無限ループしているのです。
「どいつもこいつも」
その先に続いてる本音は「意のままにならないゴミばかり」ですからね。
そんな本音を抱えたヒトに誰が好き好んで協力するでそうね?
我慢すべき理由>どいつもこいつも
「仲良くしなければならない」という子供時代に刻まれた呪いのせいです。
昭和の常識に縛られたオワコンカルト宗教「仲良し教」の仕業。
考えてもみてください。
仲良くしようと考えるから、自分のことを理解してもらいたいと期待するワケで。
相手のことを必要以上に詮索し、縛ろうとするワケで。
で、仲良くすることが義務に。
となれば我慢は必然になります。
カルト宗教が強いた「ありもしない義務」こそ捨てるべきです。
消耗することが愉悦だというのであれば話は別ですが、そうなら文句は出ないはず。
「どいつもこいつも」は自分が歪んだサインだと自覚しましょう。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 「どいつもこいつも」?目の前のバカより実は自分が歪んでるんじゃね?[/su_box]
解決策:目の前のバカとの縁を切れ
京都には安井金毘羅宮という仲良し教徒が汚物を見るような目で見てる神社があります。
「悪縁切り」をご利益にする神様が日本にはちゃんといるのです。
悪縁というモノの存在を「どいつもこいつも」病に侵された人は忘れているんです。
縁を切ることは罪でも何でもないことを日本の歴史と伝統はしっかり証明しています。
真新しい概念でも何でもなく、「どいつもこいつも」なんて要らないのです。
付き合いが辛いばかりなら縁を切ってもいいんです。
仲良し教のドグマに「どいつもこいつも」言うほど歪むまで従わなくていい。
それがたとえ公的権力を身にまとってたとしてもね。
バカとの縁を断てば、「どいつもこいつも」という呪詛は無用の長物なのです。
[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] よくがんばった。歪みが直るまで休んでいい。[/su_box]
おわりに
ぼくはフォロワー2000をTwitterで超えるに至りました。
魔族を自称しようと肉体はしょせんヒトの身。
全員に愛想を振りまくのはムリゲー。
仲良し教をしてたらぼくはノイローゼになるというのにまだ増やす必要があると来る。
というのは極論ですがw
好きだけを発信しても付き合ってくれる人は2000人以上いる証拠。
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