いじめが必要というジリ貧
安直さより斬新なアイデアが尊いと思ってる人、てーとくです。
この記事は社会問題に負けっぱなしでいいのかよって思いと共に書きました。
いじめという社会問題を放置すべきじゃない理由を。
いじめは社会問題です。
放置すればみんなで貧しくなっていくだけ。
悪いし排除すべきと決まっている。
組織(みんな)の為と言ってもその組織が悪性腫瘍という場合もある。
みんなを理由にしていじめに手を染めるのは良い方法ではない。
安直さや速さとは程遠いアプローチですが、もっと息の長い方法があるはずですから!
いじめは組織のために必要?
いじめのロジックとは全体主義の強要と正当化にあります。
おまえが従わないから組織が壊れる!
腕ずくで脅威度を0にしなくてはならない!
というロジックのもと正当化され、断行されるのがいじめです。
「一人がみんなのために」という風に美化することも出来ますからね。
会社や学校による髪型やライフスタイルへの介入などと同じ処理です。
一つの規格にはまった個体しか扱えない脆弱な組織が逸脱をミリ単位で逃さない。
そのために制裁という手段に走る頭の弱さを正義で隠して発生する。
それがいじめの正体。
弱さゆえにいじめが起こる原因です。
犠牲が少ない方がいいというのは確かですがね。
いじめを必要とするブラック企業
例えば組織生存のために人材の使い捨てを絶対条件とするブラック企業。
採算の弱い事業と事業転換するに足りない資本と頭脳の弱さが血を求める例ですね。
彼らは社会と従業員を汚染してでも生き残るためにいじめをシステム化してます。
人を雇う力もないのにマンパワーを必要とする状態と改善しないことこそが悪。
その結果、ムダに人を破壊して社会にムダな負担をかける。
それこそ、なにが「一人がみんなの為」やねん!って話です。
環境破壊するしか能がない組織こそ死ぬべき、とは思いませんか?
いじめないとやってられない犯人
日本は病みに病み切ったストレス社会。
いじめを正当化する理由を掲げた組織にいればみな喜んで手を血に染めます。
いじめないとやってられない。
その背景となる元凶を簡単に倒せるならば誰もいじめなどには走りません。
組織のせいにして考えずに暴徒化したほうが安直で手っ取り早い。
責任や不都合を他人に押し付けた方が腰を据えて根本を除くよりもね。
速さは正義ですが、面倒であれ誰かが打ち倒すべき課題であるのもまた事実です。
待っていれば誰かがなんとかしてくれる、なんてことはないのですから。
いじめの必要性に潜む背景
ストレスなり組織が抱える致命的欠陥であったり。
いじめとは何らかの背景を抱えているもの。
背景を見ず、表面的に犯人を捜して糾弾し、禁止を叫ぶだけでは減りもしない。
被害者側はモチロンですが、犯人側の都合も深く掘り下げなくてはなりません。
病巣をすべて洗い出せてないのに根本治療なんてできませんからね。
がんと同じで討ち漏らしがあれば再び元の木阿弥なんです。
安易な自己責任論と糾弾に走っていては減らせるものも減らせません。
社会が、みんなが知恵を集めてみんなで駆逐すべき課題なんです。
いじめのごとき社会問題は、ね?
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