いなくなってから気付く、という経験の真価

見捨てるって行動には意味がある

ちょっと女子に優しくされるとつきまとう粘着質な男。

説教という方法を絶対と信じて株を下げていく会社や上司。

これらはいつもぼくらを悩ませます。

ぼくがアドバイザーとして活動している童貞サロンでもこんな話題がポロリ。

拗らせ症例として粘着男子を紹介した女性アドバイザーもほとほと参らされてました。

というわけで、彼らを教育する術について愚考し、文字化してみました!

☆この記事を読んで得られるもの

  • 排除する勇気
  • 見捨てるのも優しさ
  • 粘着男子を躾ける術
  • 見捨てる=悪じゃない
  • 見捨てられ≠ネガティブ
  • 合理的な人生への一歩

拗らせ男をやめたい
優しく関係を終わらせたい

そんなお悩みに刺さること請け合いです!

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いなくなって初めて気付く

その人が自分にとってどれだけ価値があったのか。

自分がどれだけ傲慢だったのか。
相手がなぜいなくなったのか。

自分が見捨てた場合でも
見捨て垂れた場合でも

喪失によって得られる気づきは膨大です。

喪失を恐れるあまり得られなかった経験値が強制的に入ってくる不可避イベント

これが「いなくなってから初めて気付く」の正体ですから。

 

人は100の失敗の末に気付く

練度不足なら未然に気付くなんてムリゲー

これは何事にも言えること。

さらに、ぼくらは常に理不尽と気付かぬままにある理不尽と対峙しています。

「練度不足だろうと問題は未然に防いで当たり前」という。

だからこそ、大きなショックを受け、混乱し、学ぶきっかけを得るのです。

多くの人が求めるように1回目で気づく場合はレアで、

99回は他人に責任転嫁して先延ばしするものです。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 1回の失敗で完全修正できるほど人間は優秀じゃない
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いなくなってから傲慢を知る

正しさを押し付け続けた果てに反感を買って。

過小評価ゆえに切り捨てて。

いなくなってからガチで困る経験をして初めて気付くのです。

相手はずっと横にいて当たり前。

俺は人に迷惑をかけずに生きてる。

という傲慢や誤解に気付くのです。

その傲慢や誤解がどんな害をもたらすかについても。

今、学べてよかったという自らの幸せにも。

感謝の価値にも。

見栄がどれだけつまらなく、無駄なものであったかを

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 人の身ですべてを知ることなど出来はしない
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いなくなって見せて躾ける

過度に依存する他人をしつける最後にして究極の方法。

最後にして最大の奉公。

それが、「相手のもとを去る」

99回喪失しないと気づかないかもしれない。

それでも1回でも経験させてやらなければ相手は道化のまま。

見捨てた瞬間に救えるものではありません。

ですが、見捨てられるという経験をし、恐怖を超えるには経験は必須事項。

見捨てるという形で価値を与える

物は考えようで、そう捉えることも出来るものですよ。

[su_box title=”まとめ” style=”glass” box_color=”#000080″] 「切って捨てる」という痛みを伴う方法でgiveすると捉えよう
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気付くきっかけを与える方法

その中で最も手っ取り早く効果が大きい。

他の方法では効果も小さく遅い。

それが「いなくなる」という手法です。

あくまで手段の一つと捉えれば断行へのハードルも下がるし、

人生も、より合理的かつスマートになる。

経験にも投資にも痛みが伴うモンだし、

痛みを受けるのはもちろん、与えることを過度に恐れるのは愚の骨頂。

美しいダメージデニムのように良い人生には良質な痛みが必要なのです。

すぽんさーどりんく


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